2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

上田昭夫氏の訃報

シネマヴェーラ渋谷で「アイアン・ホース」と「オーケストラの少女」を観た。前者はジョン・フォードが最も好きな作品だったそうで、一八六0年代におけるアメリカ横断鉄道敷設の困難を描いたサイレント映画。名のみ知る作品の初見で、迫力ある映像と詩情を…

ゼッリージュ(モロッコの旅 其ノ十九)

モザイクは「ガラス、タイル、大理石、木などの小片を組み合わせ、はめこんで模様や絵画を表したもの」(新明解国語辞典)とあるようにさまざまな素材が用いられる。ほかに貝殻を使ったモザイクもある。建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施さ…

七十年目の敗戦の日に 3 二つの国

一九三九年(昭和十四年)八月三十日陸軍大将阿部信行を首班とする内閣が成立したが、政権運営のむつかしさからはやくも翌年一月十六日に総辞職し、短命の内閣となった。 首相を辞した阿部は原田熊雄に「今日のやうに、まるで二つの国ー陸軍といふ国ーと、そ…

モザイク(モロッコの旅 其ノ十八)

古代ローマ時代にもモザイクで飾られた床はあった。またキリスト教美術におけるモザイク装飾は東ローマ帝国で花開き、コンスタンチノープルをはじめ各地の聖堂をモザイクが飾った。トルコを旅したときは素敵なモザイクの壁や床に惹かれたものだった。イタリ…

七十年目の敗戦の日に 2 愚行

とりあえず「先の大戦」と書いたあの戦争を、わたしは無知、無能な軍部政権による愚行だったと考えている。時代の空気として国際協調精神の蒸発と、牧野伸顕が支えとした「常識」の喪失があり、満洲事変はそれらを顕現させた。 「鬼畜米英」「必勝の信念」「…

メクネスにて(モロッコの旅 其ノ十七)

カサブランカからラバトへ、そこからフェズへ行くとちゅうメクネスへ寄った。ラバトから東に130キロ、フェズから西に60キロのところに位置する古都で、世界遺産に登録されている。ただし滞在は一時間足らずで、まさしく中国語で言う「走馬看花」状態だった。…

七十年目の敗戦の日に  1 戦争の呼称と満洲事変

きょう二0一五年八月十五日は敗戦の日から七十年の節目の日にあたる。よい機会だから先の大戦についての自分の考えを整理しておきたいとおもった。もとより近現代史の研究者でもなければ、専門的な著作や史資料に持続的に接してきた者でもない。だから以下…

ムハンマド五世霊廟の衛兵(モロッコの旅 其ノ十六)

ムハンマド五世の霊廟の門と建物入り口には衛兵が立つ。観光地の衛兵だからであろう、気さくにポーズもとってくれるし、ともに写真にも入ってくれる。聞くところによるとモロッコで衛兵といっしょに写真撮影ができるのはここだけらしい。 この衛兵が守る霊廟…

「ボヴァリー夫人とパン屋」

フランス西部のノルマンディー地方でマルタン(ファブリス・ルキーニ)はパン屋を営んでいる。中年になり脱サラして帰郷し父の経営する家業を継いだ。 ある日、自宅の向かいにジェマ(ジェマ・アータートン)とチャーリー(ジェイソン・フレミング)のボヴァ…

ムハンマド五世の霊廟のなかで(モロッコの旅 其ノ十五)

ムハンマド五世の霊廟は美しい内部に入れてくれて、そのうえ同国王と後継のハッサン二世の棺を写真に収めてもよいというのだから、ずいぶんと開かれた霊廟と言ってよいだろう。 ここで少し勉強をします。 ムハンマド五世が即位したのはモロッコが独立を果た…

ときには説を曲げて・・・

ちかごろいちばん愉快だったニュースは六月四日の衆議院憲法審査会で参考人として出席した長谷部恭男早稲田大学教授と、小林節慶應義塾大学名誉教授が安倍政権の成立をめざす安全保障関連法案を違憲としたことで、とくに長谷部教授は自民党が推薦した方だっ…

ムハンマド五世の霊廟(モロッコの旅 其ノ十四)

モロッコの伝統的建築技術、彫刻、ステンドグラス等々が美しく調和したムハンマド五世の霊廟。外観、内装ともに見応えがある。独立を勝ち取ったムハンマド五世は実質的には建国の父といってよいのだろう。没したのは一九六一年、そしてこの廟が完成したのは…