2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大に唸る

イマジカBSで放送のあった「エイトメン・アウト」を観た。「フィールド・オブ・ドリームス」の前年1988年に制作されているが、こちらは日本の劇場では公開されていない。情報に疎く、不明を羞じるほかないけれど「フィールド・オブ・ドリームス」の影に隠れ…

アンカラの一夜(土耳古の旅 其ノ三十九)

アンカラの一夜、街の地図も頭にないまま四人の仲間でそぞろ歩きをした。 この地は一九二三年トルコ共和国の樹立とともに首都とされ、その直後から急速に人口が増大したため従来の市街が手狭になり、さっそく翌年には新市街の建設計画が定められた。 わたし…

「或る夜の接吻」余話〜接吻歌謡篇

「リンゴの唄」は敗戦の年の十二月に並木路子と霧島昇のデュエットで吹き込まれ、翌年一月にコロムビアからレコードが発売された。そのころ並木路子がNHKの公開ラジオ番組「希望音楽会」でこの歌を歌いながら客席に降り、篭からリンゴを配ったところ会場がリ…

宮殿のなか(土耳古の旅 其ノ三十八)

トプカプ宮殿を舞台とする映画といえばエリック・アンブラー『真昼の翳』を原作とするその名もズバリの「トプカピ」(ジュール・ダッシン監督)だろう。一九二四年トルコ共和国はトプカプ宮殿を修復したあと博物館として開放していて、真偽はわからないがこ…

「或る夜の接吻」余話〜接吻映画篇

キスシーンのある日本映画は第二次大戦後にはじまった。ただしどの作品を以て嚆矢とするかで異説があるらしい。 川本三郎『映画を見ればわかること2』によると「定説」とされているのは一九四六年(昭和二十一年)五月公開の「はたちの青春」(佐々木康監督…

トプカプ宮殿(土耳古の旅 其ノ三十七)

小さいころ「トプカピ宮殿」とおぼえていたが、おそらく現地での発音が「トプカピ」よりも「トプカプ」に近いのだろう、いまは後者で呼ばれている。 十五世紀中頃から十九世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿は同時にオスマン帝国の行政の中心地で…

松の内

きょうは一月十五日。むかしはこの日までが松の内とされていた。 門松を取り払う松納(まつおさめ)を何日とするかについて肥前国平戸藩の藩主松浦静山『甲子夜話』は「正月門松を設くること、諸家一様ならず、通例は年越より七草の日迄なるが、十五日迄置く…

らくだ岩(土耳古の旅 其ノ三十六)

後方に見えているのはらくだ岩。偶然の所産とはいえよくこんな奇岩が出現したものだ。奇岩群を「妖精の煙突」とはよく言ったもので、現地に立って、ここで妖精たちが暮らしていたんですなんて説明されるとなんとなくそんな気持になってしまう。 作家で大阪生…

「百円の恋」

実家でひきこもり生活を送っている三十二歳の一子(安藤サクラ)が、離婚して出戻ってきた妹と大喧嘩して、自棄になり家を飛び出し、百円ショップで深夜勤務のバイトに就く。先輩の店員で、むやみなおしゃべりのサイテー男、元店員で毎夜廃棄弁当あさりにや…

岩窟の住まい(土耳古の旅 其ノ三十五)

らくだやきのこのかたちをした岩は自然が生み出したものだが、火山で噴出した岩石は柔らかく人はこれを加工し利用した。 三世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れてカッパドキアに移り住んだキリスト教の修道士たちは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ってい…

去年今年

去年今年貫く棒の如きもの(虚子) 「去年今年」という季語は川端康成が鎌倉駅構内に掲げられていた高浜虚子の句を目にし、感嘆して随筆に書き一躍有名になったという。よく知られるようになったいきさつから明治以後の季題のような気がしていたが馬琴の編ん…

お年賀

あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 昨年秋にモロッコを旅しました。圧巻はサハラ砂漠で、フェズからバスで七時間かけてアトラス山脈を越え、砂漠の入口の街エルフードへ、ここで4WDに乗り換えておよそ60km、一時間の行程…