2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

聖女カテリーナ像(伊太利亜旅行 其ノ三十五)

須賀敦子は在俗のまま学問を修め、生涯を教義のために尽くした聖女カテリーナに早くからあこがれていた。 シエナには聖女カテリーナ通りがあり、サン・ドメニコ教会にはアンドレア・ヴァン二が描いた肖像画がある。この肖像画について須賀敦子は若き日1971年…

高知龍馬空港の吉田茂銅像

今月のはじめに帰郷した折り、高知龍馬空港のターミナル近くに吉田茂の銅像が建っているのを見た。いまになって気がつくなんていつもながら迂闊なことだなと思いながら説明を読むと、昭和五十九年に建立された銅像だが、平成二十四年に空港内の別の場所から…

「ラッシュ/プライドと友情」

人には個性と偏りがある。天才や抜群の能力を持つスペシャリストが競い合う世界では角逐のゆくえにそれらが色濃く反映する。おなじスペシャリストのプロ根性といってもそこにタイプがある。 「ラッシュ/プライドと友情」はF1の世界でいまに語り伝えられるニ…

「シエナ派の私」(伊太利亜旅行 其ノ三十四)

須賀敦子がはじめてシエナを訪れたのはパリ大学で勉強していた一九五四年の夏だった。八月十六日の「パリオ」の祭りもこのとき経験している。十五年ののち彼女はシエナを訪れている。もういちど新しい目でイタリアの町を見てみたい気持が湧いての旅だった。…

「聖女カテリーナ」(伊太利亜旅行 其ノ三十三)

十四世紀のなかば、シエナの染物職人の家に生まれたカテリーナ・ベニンカーサは、幼いとき、自分は神に呼ばれているとの確信を得て、神だけにみちびかれて生きることを選んだ。 聖心女子大学に入学した須賀敦子が英語によるブック・レポート提出の課せられた…

「スノーピアサー」

「スノーピアサー」、漢語の題名「雪國列車」は文芸作品のようだがじっさいはなかなかエグいアンチ・ユートピアの映画だ。 二0一四年世界は地球温暖化を防止するためCW-7と呼ばれる薬品を散布したところ深い雪に覆われてしまい地球に氷河期がふたたびやって…

シエナの広場(伊太利亜旅行 其ノ三十二)

ローマからシエナへ向かった。バスでおよそ四時間、二百四十キロの行程だ。 シエナの中心部にある広場(カンポ)はイタリアでももっとも美しい広場といわれている。プブリコ宮殿のマンジャの塔やルネサンス様式のガイアの噴水が見られる。カンポはもともとは…

古本屋(伊太利亜旅行 其ノ三十一)

戦争前の銀座は夜店で賑わっていたそうだ。明るく快活な雰囲気で、値段も手ごろのよい品が買えたという。 吉田健一『東京の昔』には「その凡そ小さな古本屋は日本の本しかなくても神田のもつと大きな店でも掘り出しものと見られるものばかり置いてゐるのが特…

『藝術にあらわれたヴェネチア』

ヴェネチアは十三世紀末に国家としての体裁を整え、やがて領土を広げ、地中海に沿う各所に貿易の拠点を置き、十五世紀末に繁栄の絶頂期を迎えた。交易を通じての東洋と西洋の自然な出会いは水の都に賑わいといっそうの魅力をもたらし、多くの詩人、作家、画…

スペイン階段(伊太利亜旅行 其ノ三十)

ふつうより大きくてモニュメンタルな階段をイタリア語でスカリナータというそうだ。スカラ(階段)から派生したことばで、須賀敦子はあかるく乾いた音をもつこの語が「スペイン広場から見上げたところにある、あの、どこかほんのりとあたたかい色調をおびた…

四十五年前の大雪

東京都心では二月八日午後十一時に積雪が二十七センチに達した。これは一九六九年(昭和四十四年)三月に三十センチを観測して以来四十五年ぶりの記録的な大雪だそうだ。 かつての大雪の年にわたしは大学を受験した。三月の三十センチというのは記憶にないも…

「ハンナ・アーレント」

遅ればせながら「ハンナ・アーレント」を観た。 たぶんアーレントと哲学者ハイデガー(ナチスに入党し、戦後大学を追われた)の関係の顛末を描いた作品だろうと勝手に思いこんでいていまひとつ食指が動かなかったけれど、じっさいはさにあらず、彼女の哲学と…

トレヴィの泉(伊太利亜旅行 其ノ二十九)

団塊の世代にはトレヴィの泉を園まりの歌った「太陽はひとりぼっち」で知った人がけっこういるのではないか。わたしもこの歌で知りました。 「レクレプス・・・・・・/たそがれのローマ/夏の陽ローマ/トレヴィの泉に/沈む陽よ」(水木かおる作詞、ジョバンニ・…

「休む勇気」「残す勇気」

二月二日に高知県県須崎市で行われた第三十一回桜川駅伝大会に出場した。 3キロ区間を14分18秒。一昨年が14分、昨年が14分1秒だから、だいぶん落ちたが1kmを4分台で走れたのはよかった。 コースは長短あるがみんな往路の山登りと復路の山下りを走る。 山には…

復興の夢(関東大震災の文学誌 其ノ十六)

関東大震災の直前一九二三年(大正十二年)八月二十四日加藤友三郎首相が急逝し、内田康哉内閣総理大臣臨時代理を経て九月三日山本権兵衛内閣が発足した。ここで震災対応を任されたのが後藤新平だった。当初は外務大臣としての入閣と目せられていたが震災の…

「ローマに住みたい」(伊太利亜旅行 其ノ二十八)

コロッセオの工事はウェスパシアヌス治世の七十五年にはじまり、ティトゥス治世の八十年から使用されるようになった。古代ローマの象徴のひとつとして世界遺産の競技場となっているが、もとよりローマ時代の競技場はここにとどまらない。 須賀敦子は「ローマ…