2012-01-01から1年間の記事一覧

鈴懸の径

川上弘美さんの書評集『大好きな本』を読んでいたところ、須賀敦子『遠い朝の本たち』の書評に須賀さんの「戦争がすぐそこまで来ていた時代に、(中原)淳一は、この世が現実だけでないという事実を、あのやせっぽちの少女たちを描くことで語りつづけていた…

綺堂と花々(関東大震災の文学誌 其ノ七)

岡本綺堂が古道具屋の店先で徳利のような花瓶を見つけて買い、そのあと麻布十番の夜店でもとめた梅の枝と寒菊の花を挿したいきさつは「十番雑記」の一篇「箙の梅」にしるされている。 このときの住まいは麻布区宮村町だったが、この家も震災の影響で雨露をし…

丸谷才一氏の訃報に接して

昨夜遅くにネット上のニュースで丸谷才一さんが亡くなったのを知った。享年八十七、心不全だった。三十年以上にわたり読み継ぎ、私淑してきた作家の訃報に接した夜はとても寝つきの悪い一夜となった。 一九七0年代の後半、二十代の終わりになってはじめて丸…

東京駅丸の内駅舎

一九一四年(大正三年)に辰野金吾により設計された丸の内駅舎の復原・保存が竣工した。これを機に東京ステーションホテルも新装オープンとなった。 一九七九年に中国へ行った際には東京、地方を問わず二十人ほどの訪中団みんながこのホテルに宿泊し、翌朝成…

録画で観た映画やワインのことなど

いささか旧聞になるが、この三月にCS放送からBSの一局としてお引っ越しをした日本映画専門チャンネルが新番組編成とともにずいぶんとパワーアップした。「ハイビジョンで甦る日本映画の名作」「日本映画百年の百選」「懐かしの銀幕スタア24」「市川崑の映画…

三遊亭圓朝墓所

三遊亭圓朝の墓所は千駄木、団子坂向かい側の三崎坂のとちゅう全生庵にある。写真は同寺にある翁の石碑で明治の元勲井上馨が筆を執っている。 圓朝が熱海に滞在していて、他の旅館に贔屓にして下さる華族が来ているというので弟子が気をきかしてだろう、師匠…

花の力(関東大震災の文学誌 其ノ六)

関東大震災からおよそ一年、被災した岡本綺堂は、仮住まいの生活をつづけていた。住みなれた自宅での生活とは気分や感情の落ち着きやゆとりの面でだいぶん落差があったのだろう、花を活けて眺めようという気は起こらなかった。 ところがある日、綺堂は古道具…

銀座の宵闇

「君恋し」がフランク永井でリバイバル・ヒットしたのは昭和三十六年だった。「宵闇せまれば悩みは果てなし/みだるる心にうつるは誰が影」。小学生だった当方がどれほどこの歌を理解していたかは心許ないけれど、よい歌だなあと思ったのをおぼえている。(…

『三浦老人昔話』執筆経緯(関東大震災の文学誌 其ノ五)

関東大震災で被災した岡本綺堂が元の自宅のあった麹町に戻ったのは一九二五年(大正十四年)六月だったから、そのかん一年と十ヶ月は借家生活だった。 家具、家庭用品を揃えようにも借家では思うにまかせないし、それと震災がこれまでの生活様式を見直すきっ…

ハンガリー、オーストリア、チェコの旅

ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン、ハルシュタット、ザルツブルク)、チェコ(チェスキー・クロムロフ、プラハ)を廻って帰国しました。一週間足らずのあいだの欲張った三カ国周遊旅行が走り走りの名所旧跡訪問となるのはやむを得ませんけ…

清水観音堂

美しいお嬢さんが茶ぶくさを落としたのを、さる大店の若旦那が拾って渡したところ、お嬢さんは短冊に「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と歌の上の句を書いて去って行った。下の句は「われても末にあはむとぞ思ふ」。夫婦の契りを歌った崇徳院の恋歌だ。 寝つい…

「最強のふたり」

パリの富豪で、事故により首から下が麻痺してまったく自由が利かないフィリップ(フランソワ・クリュゼ)が介護役としてスラム育ちのアフリカ系兄ちゃんのドリス(オマール・シー)を雇う。ほかに介護や福祉の専門家や経験者が応募してきているのに富豪はな…

綺堂の見た震災一年後 (関東大震災の文学誌 其ノ四)

関東大震災で麹町元園町の自宅を焼け出された岡本綺堂と家族、女中はその日は紀尾井町の小林蹴月方に避難し、翌日高田町の額田六福方に移った。小林、額田ともに作家で、前者とは親類、後者は綺堂の高弟にあたる。 綺堂の一家は同年十月に麻布区宮村町に転居…

森鴎外記念館

団子坂上、観潮楼址の森鴎外記念館がまもなく竣工し、この十一月一日に開館が予定されている。折しもことしは鴎外生誕百五十年にあたる。 永井荷風が『日和下駄』に、鴎外宅の一間の床には何か謂われのあるらしい「雷」という字を石刷にした大幅がかけられ、…

「火に追われて」(関東大震災の文学誌 其ノ三)

『岡本綺堂随筆集』にある一篇で関東大震災の体験を述べた「火に追われて」は、たいへんに臨場感のあるルポルタージュであり、乏しい読書体験を承知であえていえば、山の手での震災体験、火焔におおわれた怖ろしさをこれほどに示した文献は貴重だと思う。 当…

不忍池

関東大震災直後の九月五日、不忍池を通りかかった田山花袋は、緑葉のなかに紅白の蓮の花が咲いているのを見て、思わず池の畔に引き寄せられた。 その光景を見つめた花袋は、何をのんきなことを言っているとあきれられるかもしれないが、あたりがわびしいまっ…

安政の江戸地震と関東大震災(関東大震災の文学誌 其ノ二)

「安政の三大地震」は一八五四年(安政元年)十一月四日に起きた東海地震、おなじく五日の南海地震、そして翌安政二年十月二日の江戸地震をいう。東海と南海地震につづく十一月七日には豊予海峡を震源とする安政豊予地震も起きている。マグニチュードの大き…

軒燈

吉田健一『東京の昔』に、あのころは蕎麦屋、鮨屋、小料理屋の店先によく軒燈がつるされてあり、それがいまになってノスタルジーに誘うという箇所がある。あのころとは一九三0年代東京。 「この軒燈が夕闇に浮び上つてそこでいつものやうに商売をしてゐるこ…

岡本綺堂と水上滝太郎(関東大震災の文学誌 其ノ一)

このほどひさしぶりに岡本綺堂の随筆を読んだ。『半七捕物帖』や『修禅寺物語』の作者の著作を手にする人は多くが江戸や明治の残り香に触れたい思いがあるからだろう。わたしが千葉俊二編『岡本綺堂随筆集』(岩波文庫)を手にしたのもそうした気持からで、…

「幸せへのキセキ」

一歩あやまると下手な人情話になりかねない素材が爽快で心暖まる端正な作品となった。「幸せへのキセキ」を観ての第一印象で、いちばんの要因は人物の造型と脚本が優れていることにある。 半年前に妻を亡くしたコラムニストのベンジャミン(マット・デイモン…

ご近所散歩

ある友人から、ご近所の散歩についての記事をはじめたの?という質問メールをいただきました。そうなんですよ、気の向いたとき、一枚の写真と短文で散歩したところを紹介してみよう、大好きな地域に居住しているんだもの、それくらいのことやらなくちゃもっ…

桂三木助墓所

半年ほどまえの新文芸坐落語会で立川志らく師匠が「時そば」のまくらで、談志師匠が亡くなってからテレビがしょっちゅう「芝浜」を流すものだから、いまや一番有名な落語はあの噺になっちゃったと話していた。そうかもしれませんね。それまでは「時そば」だ…

本郷信楽町

本郷三丁目のスターバックスで珈琲を飲みながら本を読んでいて、ふと窓の外を見ると菊坂通りの夕暮れに燈が灯った。ここから坂を下りてゆくと樋口一葉が使っていた井戸や彼女がよく通った伊勢屋質店がある。 レトロな感じの燈を見ているうちに吉田健一の『東…

雑誌「こぺる」の終刊に思う

このほど雑誌「こぺる」(こぺる刊行会)七月号に拙稿「『高度の平凡さ』について」が掲載された。 「高度の平凡さ」は太平洋戦争の帰趨にきわめて大きな意味を持ったレイテ島での闘いをめぐって米国の歴史家フィールズが述べた言葉だ。 フィールズはいう、日…

『にんげん蚤の市』

一九三七年(昭和十二年)高峰秀子は五歳のときから専属として働いていた松竹を離れPCL(のちの東宝)に移った。原因は彼女の義母と松竹とのトラブルだったが、義母から許諾の返事を求められて彼女は気に染まず、金に転んだと思われるのもいやで「私がい…

「あの日 あの時 愛の記憶」

アウシュビッツの収容所からの逃亡に成功した男女が生き別れになり、三十数年後に再会をはたしたという実話を基にした作品。 邦題「あの日 あの時 愛の記憶」は甘ったるいようだけど内容的にはその通りの説明となっている。ドイツ語原題は「DIE VERLORENE ZE…

東映任侠映画の日々

桜町弘子さんのトークショーが予定されているので朝からイソイソと加藤泰特集の新文芸坐へ。まずは初見の「骨までしゃぶる」。桜町さんは、配役のトップに一行で名前が出た唯一の映画とおっしゃって感慨深げだった。 一九六六年(昭和四十一年)の公開だが御…

『地震雑感/津波と人間 寺田寅彦随筆選集』

本書は関東大震災をはじめとする災害や事故をめぐる寺田寅彦の随筆、論説を集成した中公文庫の一冊。千葉俊二、細川光洋両氏による編集で巻末には細川氏による親切な註解があり理解を助けてくれる。 一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市の東方沖を…

『古今亭志ん朝 大須演芸場』

トカゲを飼って大きくして財布にするんだと真面目な顔で親父の志ん生がいうものだから、長女の美津子はやむなく「何言ってんの、父ちゃん。トカゲがそんなに大きくなったら、財布にする前に父ちゃんが食われちゃうよ」と応えたところ怖がりの志ん生は一発で…

蝙蝠(こうもり)

岡本綺堂の随筆「薬前薬後」の一篇「雁と蝙蝠」に、江戸時代の錦絵には柳の下を蝙蝠が飛んでいるさまがよく描かれていて、柳橋あたりの河岸を粋な芸妓があるいていると、その背景は柳と蝙蝠とするのが紋切形、定番になっていたとありました。 柳とくればつば…