2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『三浦老人昔話』執筆経緯(関東大震災の文学誌 其ノ五)

関東大震災で被災した岡本綺堂が元の自宅のあった麹町に戻ったのは一九二五年(大正十四年)六月だったから、そのかん一年と十ヶ月は借家生活だった。 家具、家庭用品を揃えようにも借家では思うにまかせないし、それと震災がこれまでの生活様式を見直すきっ…

ハンガリー、オーストリア、チェコの旅

ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン、ハルシュタット、ザルツブルク)、チェコ(チェスキー・クロムロフ、プラハ)を廻って帰国しました。一週間足らずのあいだの欲張った三カ国周遊旅行が走り走りの名所旧跡訪問となるのはやむを得ませんけ…

清水観音堂

美しいお嬢さんが茶ぶくさを落としたのを、さる大店の若旦那が拾って渡したところ、お嬢さんは短冊に「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と歌の上の句を書いて去って行った。下の句は「われても末にあはむとぞ思ふ」。夫婦の契りを歌った崇徳院の恋歌だ。 寝つい…

「最強のふたり」

パリの富豪で、事故により首から下が麻痺してまったく自由が利かないフィリップ(フランソワ・クリュゼ)が介護役としてスラム育ちのアフリカ系兄ちゃんのドリス(オマール・シー)を雇う。ほかに介護や福祉の専門家や経験者が応募してきているのに富豪はな…

綺堂の見た震災一年後 (関東大震災の文学誌 其ノ四)

関東大震災で麹町元園町の自宅を焼け出された岡本綺堂と家族、女中はその日は紀尾井町の小林蹴月方に避難し、翌日高田町の額田六福方に移った。小林、額田ともに作家で、前者とは親類、後者は綺堂の高弟にあたる。 綺堂の一家は同年十月に麻布区宮村町に転居…

森鴎外記念館

団子坂上、観潮楼址の森鴎外記念館がまもなく竣工し、この十一月一日に開館が予定されている。折しもことしは鴎外生誕百五十年にあたる。 永井荷風が『日和下駄』に、鴎外宅の一間の床には何か謂われのあるらしい「雷」という字を石刷にした大幅がかけられ、…

「火に追われて」(関東大震災の文学誌 其ノ三)

『岡本綺堂随筆集』にある一篇で関東大震災の体験を述べた「火に追われて」は、たいへんに臨場感のあるルポルタージュであり、乏しい読書体験を承知であえていえば、山の手での震災体験、火焔におおわれた怖ろしさをこれほどに示した文献は貴重だと思う。 当…

不忍池

関東大震災直後の九月五日、不忍池を通りかかった田山花袋は、緑葉のなかに紅白の蓮の花が咲いているのを見て、思わず池の畔に引き寄せられた。 その光景を見つめた花袋は、何をのんきなことを言っているとあきれられるかもしれないが、あたりがわびしいまっ…

安政の江戸地震と関東大震災(関東大震災の文学誌 其ノ二)

「安政の三大地震」は一八五四年(安政元年)十一月四日に起きた東海地震、おなじく五日の南海地震、そして翌安政二年十月二日の江戸地震をいう。東海と南海地震につづく十一月七日には豊予海峡を震源とする安政豊予地震も起きている。マグニチュードの大き…

軒燈

吉田健一『東京の昔』に、あのころは蕎麦屋、鮨屋、小料理屋の店先によく軒燈がつるされてあり、それがいまになってノスタルジーに誘うという箇所がある。あのころとは一九三0年代東京。 「この軒燈が夕闇に浮び上つてそこでいつものやうに商売をしてゐるこ…

岡本綺堂と水上滝太郎(関東大震災の文学誌 其ノ一)

このほどひさしぶりに岡本綺堂の随筆を読んだ。『半七捕物帖』や『修禅寺物語』の作者の著作を手にする人は多くが江戸や明治の残り香に触れたい思いがあるからだろう。わたしが千葉俊二編『岡本綺堂随筆集』(岩波文庫)を手にしたのもそうした気持からで、…