年賀状雑感

退職を機に特段の事情のある方は別にして、年始のご挨拶は葉書ではなくメールとした。簡単で合理的でまことによろしく、この雑文を書いたあとは来年のお年賀に取りかかる。そして新年ただちにメールを送るとともにこのブログにも載せることとしている。

年賀葉書のときは新年のごあいさつのあとに、長ったらしい文章を添えていて、友人に「ことしも字ばかりの年賀状を書きますか」と訊かれたことがあった。もちろんワープロなしにできるワザではなく、やがてワープロはパソコンに代わったが写真やイラストのない素っ気ない年賀状を続けた。

このかん頂戴した年賀状は、コンピュータで画像処理がされたカラフルなものがだんだんと増えていった。といっても当方は画像を載せるなんてむつかしそうで敬遠するほかなかった。たまたま先日部屋の整理をしていてかつての、字ばかりの年賀状をみつけたので示しておきます。

〈人生を碁の一局と見る境地にはまだ達せぬわたしですが、それでも定年まであと片手と少しとなれば職業生活はヨセの段階に入ったといってよいでしょう。

もとより序盤からキレもサエもなく、ポカや見落とし数知れずなのでここへ来て妙手など浮かぶはずもありませんけれど、せめて迷惑の度合いを最小限に、まちがっても酔いすぎて手もと足もと乱さぬようにと念じています。

とはいえそのいっぽうに、どうせならここで思い切って勝負手を、といった血気を押さえかねている困った、日本のわたしがいます。

以上、北村太郎の詩「舗道で」の一節、「ヨセの手順をまちがえて わたしの人生 よせばよいのにまぎれを求め ビルの窓々に うつる雲」を読んでのおもいであります。〉

六十歳の定年まであと片手と少しのころ、もともと隠居趣味のあったわたしはどうやらここらあたりで老いの自覚をおおっぴらにしるすようになったようだけれど、他方で血気にもふれていて、振り返って、当時はまだそんな気持もあったんだといささか感慨深かった。人並みに血気にはやり、向こうみずの行動を重ねたのはともかくとしても、この歳になってまだ反省していなかったとは、なんたることか。

プルーストが『失われた時を求めて』に「あるイメージの追憶とは、ある瞬間を惜しむ心にすぎない」と書いている。追憶し、惜しむのはよいが、年経ての悔いとなると苦く、やっかいである。

 

陸 沈

古代ローマの詩人オウィディウスは「よく隠れる者はよく生きる」といったそうだ。

アレキサンドラ・アンドリューズ『匿名作家は二人もいらない』(大谷瑠璃子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)のなかで匿名のベストセラー作家、モード・ディクソンが、作家になることを夢見るフローレンス・ダロウに「ベネ・ウィクシト、ベネ・クィ・ラトゥイト」「ラテン語よ。オウィディウスの言葉。意味は、"よく隠れる者はよく生きる"」と語るくだりで知った。詩人はアウグストゥス帝の命により黒海に面した僻地に追放され、そこで歿したから、うえの言葉はそのことと関係しているのかもしれない。

「よく隠れる者はよく生きる」。

若いときから隠居趣味のあったわたしとしては心に響きます、この言葉。いまは趣味ではなくほんとの隠居だからなおさらだ。

中国に「陸沈(luchenリクチン)」という言葉がある。典拠や用例が示されていないのが残念だけれど漢和辞典の『新漢語林』には、陸にしずむの意で、俗人と一緒に住み、表面は俗人と変わらぬ生活をしている隠者をいう、また、昔を知って今を知らず、時代遅れで世俗に疎いことといった語釈がある。

ただしわたしは隠者と俗人といった格差は無視して、時代おくれで世俗に従わず、街を隠れ里にして地味に、そして滋味豊かなたのしみに生きるという語感を懐いている。

ついでながら中国語辞書『中日大辞典』と『現代漢語大詞典』には、陸地の陥没、国家の滅亡、隠退するとあるばかりで、本家の中国では陸沈にそっけない。

f:id:nmh470530:20221209123456j:image

ときどき都築響一の写真集『TOKYO STYLE』(京都書院版)を眺めながらまったりとした時間を過ごす。撮られているのは九十年代はじめの東京の若者たちの部屋で、人は誰も写っていないけれど部屋を通して人とその生活が見えてくる。貧しい若者たちの狭くて乱雑な空間からはそれなりに気持よい暮らしが伝わってくる。ただし戦前の歌謡曲にある、狭いながらもたのしいわが家とは様相を異にしていて、なんといえばいいのか世紀末あるいは近未来風なたたずまいを帯びた快適さといった感じ、そしてここにも陸沈がある。

都築響一は書いている、「もしかしたら世界一のスピードで動いていると思われている東京の只中で、小さな部屋を借り、どうしても必要な分だけ働いて、あとは本を読んだり絵を描いたり、音楽を聴いて静かな毎日を過ごしている人々がずいぶんいるという事実は、心地よい驚きでもある。東京もまだ捨てたもんじゃないと思うのは、こんな人たちに出会うときなのだ」と。

いうまでもなく「こんな人たち」はカネとモノをより高く、より多くという高度成長の夢の逆側にいる。そこにあるのは少数の好きな人とわずかなお気に入りのモノに囲まれたつつましい暮らしだ。ただし執着はないからたとえ人とモノに恵まれなくてもやっていける。支えてくれるのは柔軟な個人主義で、これは陸沈また『方丈記』や『徒然草』の伝統に通じている。

「世界名画劇場」

映画がモノクロだった頃の名作がずらりとならぶAmazon prime videoで久しぶりに「運命の饗宴」を観た。

一着の礼服がさまざまな人の手に渡るなかでいろいろなエピソードが生まれる。シャルル・ボワイエリタ・ヘイワースヘンリー・フォンダジンジャー・ロジャースなど豪華キャストによるオムニバス作品は、一九四二年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が米国滞在中に製作されていて、日本では一九四六年に公開された。

各界の映画ファンがこよなく愛する映画について語ったエッセイを集成した『私の一本の映画』は一九八二年、キネマ旬報社から刊行されており、なかで和田誠さんがあげていたのがこの作品だった。

f:id:nmh470530:20221031140940j:image

そのころ三十代のはじめだったわたしは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品では「舞踏会の手帖」「望郷」「我等の仲間」などは鑑賞済みだったが「運命の饗宴」は和田さん経由ではじめて知り、早く観たいなあと願ったものだった。

当時NHK教育テレビに欧米の古典的作品を多く放送していた「世界名画劇場」という番組があり、わたしはここで「運命の饗宴」を観たように思っていたが、この原稿を書くに当たって調べてみたところ、この映画の放送はなかった。おそらくどこかのレンタルビデオ店で出会ったのだろう。こうした渋めの映画を置いてくれていたレンタルショップにあらためて感謝しなければならない。

和田誠さんはうえの一文で、「地の果てを行く」「にんじん」「舞踏会の手帖」「望郷」などジュリアン・デュヴィヴィエ作品をたくさん観られたのは新宿にあった日活名画座に負うところが多かったと恩恵を語っている。まもなく和田さんはひとりの観客から、この劇場のポスターを担当することになる。

「世界名画劇場」についてネットで調べてみると一九七六年八月二日から二00三年三月二十三日まで二十七年間にわたり放送されていた。はじめの何回かを抜き書きしてみると「巴里祭」「会議は踊る」「間諜X27」「或る夜の出来事」「舞踏会の手帖」「オーケストラの少女」「格子なき牢獄」「大いなる幻影」といった具合で「世界名画劇場」の名にふさわしいラインナップである。

「運命の饗宴」はレンタルショップのお世話になったけれど、和田誠さんの日活名画座にあたるのがわたしには「世界名画劇場」だった。Eテレなどとチャラチャラした名前ではないころの素敵な番組だった。

生花と造花

十一月早々、オミクロンに対応するワクチン接種の通知が送られて来た。今回で五回目となる。しないわけにはいくまいと日程を見ると、十二月二十四日土曜日、クリスマスイブの午後というけっこうな日に割り振られたものだが、無職渡世の老爺にもそれなりにつきあいがあり当日はすでに予定が入っている。 毎度副反応を心配するのはいやだから止そうかとも思ったが、罹患するとまずいので日程変更の電話をかけた。

まずは本人確認。通知番号、氏名、生年月日さらに通知書に書かれてあるこれまで四回の接種の日付を読み上げさせられ、ようやく本題に入った。本人確認までわたしは「お電話口様」と呼ばれた。

みょうに気ぶっせいな呼びかけ用語で、本人確認を済ませた段階で名前を呼ばれるかと思ったが、お電話口の職員様はそのあともわたしを「お電話口様」と呼び続けた。おそらく対応マニュアル通りにしているのだろうが、「お宅様」「あなた様」のほうがまだしもましな気がするのがわたしの語感である。

最後にお電話口のご担当様は、高齢者をいたわるかのように、変更した接種の日を再確認したうえ、「お電話口様」が当日持参しなければならない本人確認に必要なものをご説明します、と口にしたので、長電話嫌いのわたしは免許証その他は記載がありますのでけっこうですとお断りすると、あっさり引き下がってくれた。本人確認にはじまり本人確認で終わった奇妙な電話であった。

          □

新型コロナ以後、長距離走はバーチャルがもっぱらだったが、今年はようやくリアルイベントが開催されるようになった。残念ながら三月の東京マラソンは高齢者への自粛要請があり出走を取りやめたが、五月には北区荒川河川敷ハーフマラソン、十月には東京レガシーハーフ2022を走った。とくにレガシーハーフは七十代になってはじめてのビッグなレースでよい記念となった。新型コロナは第八波が心配されているが、引き続きリアルイベントのレースが開催されるよう願っておこう。

さて、ことし最後のレースはレガシーハーフとおなじ十月のバーチャル・ハーフマラソンで、このほど結果が届いた。

f:id:nmh470530:20221207092625p:image

来年三月五日には、自粛要請に応じた代わりに出走権を付与された東京マラソン2023が予定されている。しっかりトレーニングに励もう。

          □

英語学習テキストOXFORD BOOKWORMSの六段階のうちレベル5を読み進めていて、残るは ジェイン・オースティン『分別と多感』とエミリー・ブロンテ嵐が丘』の二作品となった。後者は鬱陶しいのでまずは前者に取り組んだが、予想したより難しくて折れそうになった。一応読み終えたものの読解は不十分でもう一度チャレンジすることとし、あらためて学力不足を痛感しなければならなかった。

 『分別と多感』Sense and Sensibility は映画(邦題「いつか晴れた日に」)でストーリーは知っているのですっと入っていけそうな気がしたけれどはね返されてしまった。複雑な構文と知らない単語が頻出、それに登場人物が多くて整理がつかず錯綜気味だった。なおジェイン・オースティン作品はこのあとレベル6で『高慢と偏見』が控えている。

高齢者は昔のことは記憶にあっても近くのことは忘れやすいと聞く。わたしの英語のボキャブラリーも同様で、以前に学習した単語はよく覚えているなと思うときはあっても、いま辞書で調べた単語はなかなか蓄積されず何度も引くハメになる。もともと学力のないところへ記憶力の劣化が加わって難渋の二乗といったところだ。

          □

内田百閒『御馳走帖』に「私が初めてシユークリームを食べたのは、明治四十年ころの事であらうと思ふ。その当時は岡山にゐたので、東京や大阪では、或はもう少し早くから有つたかも知れない」とあった。一九00年(明治三十三年)岡山に第六高等学校ができ、近くの古びた町内に新しいビジネスチャンスが到来した、そのなかにシュークリームがあり、ここのところでシュークリームの社会史を垣間見た気がした。

内田百閒は一八八九年の生まれ。四半世紀のち一九一四年生まれに慶應の教授だった池田彌三郎がいる。銀座の天麩羅屋天金の次男だった池田は『私の食物誌』で銀座のシュークリームでは風月堂のが断然群を抜いてうまく、やわらかさ、におい、味はよかったがうっかりすると指がクリームだらけになった、値段は関東大震災前が十銭、震災後は十二銭になったと回想している。

池田先生は、あいだに立った方から紹介していただいたお嬢さんと結婚、仲人はシュークリームをつくるのが上手な女性とおっしゃったのに嫁に来てからつくってもらったことはないというのがおかしい。

もうひとつ『御馳走帖』からの話題。

この本の一章「こち飯」で、鯒(コチ)という魚を知った。これまでこの魚を知らず、読みもわからなかった。辞書にはカサゴ目コチ科の海水魚、本州中部以南の砂泥底に住む、マゴチといった語釈に、性転換をし、初めは雄で、成長すると雌になる、とある。

調べてみると性転換する生物はほかにもアオウミガメ、フトアゴヒゲトカゲ 、ブルーヘッド、ネコゼフネガイ、クマノミがあり、どうして性転換するのか完全には解明されていないとのことだ。自然界では性別は絶対的なものではないとすれば、服装、振舞いその他でむやみに性別を強調してきた人間はとんでもない性別絶対主義の生物である。

手許にある数種類の歳時記をみても鯒(コチ)はいずれにも立項されていない。大部の角川書店『合本俳句歳時記』にも入っていない。ただひとつ、大辞泉の鯒の語釈に 飯田蛇笏の句が引かれていた。

 鯒釣るや濤声四方に日は滾る

          □

池田彌三郎『私の食物誌』からももうひとつ話題を取り上げる。

なるべくお米のご飯をひかえるようにと医師から言われて池田先生は「うまいと思うものを、がまんしてたべず、まずいと思うものをがまんしてたべて、それで、だれも保証の限りでない生命の延長をしてみてもつまらないではないか」と書いている。

ここで文章が終わっていたら拍手したいところだったが、そのあとがよくない。

「まずいと思うものをがまんしてたべて、それで、だれも保証の限りでない生命の延長をしてみてもつまらないではないか、という不遜な態度がなおらない」。

これがどうして不遜なのだろう。正論ではないか。食事の量はともかく、お米をたべてはいけない病気なんてあるのだろうか。

これにたいしモンテーニュは「私は健康なときも、病気のときも、自分の欲望の言いなりになっていた。(中略)病気そのものよりも煩わしい治療が嫌なのだ。結石の痛みに奉仕し、さらに牡蠣を食べる楽しみを我慢することに奉仕するのは、一つですむ病気を二つにすることだ」と、またラ・ロシュフコーは「あまりに大げさな養生法で自分の健康を保とうとするのは、困った病気である」と述べている。池田先生はもう少しでこの域に達していたのに惜しい。

わたしは病気について詳しく知るより、知らぬが仏で満足している。

          □

池田彌三郎『私の食物誌』 が呼び水になったらしく、篠田鉱造『明治百話』(岩波文庫)を読んでいると池田家の家業である天ぷら屋天金の話があった。

「天金が今でこそ、あんな立派なものになってしまったが、明治十七年頃は親爺さんがチョン髷頭で、店頭で揚げていました。喰べに往くと『マア二階へお登(あが)んなさい』といったもので、時には『今日は気に入らねえから、買って来ませんよ』といって、河岸に気に入った海老のない時はお休みなんですが、お客も『そうか』と帰っていったものです。あれでなくっちゃア、旨い天ぷらは喰えませんね」

なんだか団菊爺の自慢話のようだがノスタルジー風味は捨て難い。

天金の親爺がチョン髷頭で揚げていたころ、柳の樹の下の煉瓦道に古本屋と古道具屋が茣蓙を敷いて露店を出していた。まだ水路が通っていた時代だから、これが洗練してくるとパリの河岸の古本屋のような光景になった気がするけれど、数寄屋橋ここにありき、で水路も橋も消えてしまった。

          □

英語学習テキストOXFORD BOOKWORMSにあるジェイン・オースティン『分別と多感』を二度読み、せっかくだから訳書(中野康司訳、ちくま文庫)にも手を伸ばし、映画「いつか晴れた日に」を再再見してようやくSense and Sensibility を卒業した。

ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』について津村記久子さんが『やりなおし世界文学』で、「社交」という営みへの必死さによって、人間の様子が微に入り細を穿ってつまびらかにされる、と論じていた。この必死さは『分別と多感』にも通じている。かつての英国中上流女性は財産相続権は極端に制限され、仕事からは遠ざけられていたから「社交」という営みへの必死さはおのずと結婚を求める必死さとなる。

「分別」のある姉エリナーと「多感」な妹マリアンの恋と結婚をめぐる長篇小説『分別と多感』は一八一一年刊行、全五十章、ちくま文庫本では五百二十頁余にのぼる。「分別」も「多感」も結婚への道は紆余曲折で、有閑階級の男女がそれなりの生活をしていくためには財産分与と結婚が一大事。そんなことより自立をめざして仕事をせよ!と言いたい気もするけれど。

ジェイン・オースティン(1775~1817)の「分別」と「多感」という人物造形は上手いもの、また平凡な日常生活で繰り広げられるドラマについて、訳者の中野康司さんは 、理性の時代といわれる十八世紀だが世紀末から十九世紀初頭にかけて時代の空気は感情重視へと大きく舵を切りはじめたことに注意を促している。

「理性と感情の問題は、人間にとってたぶん永遠の問題であり、哲学的思索の問題としても、平凡な人間の日々の問題としても、いくら考えても興味は尽きないだろう。人間観察の大好きなジェイン・オースティンが、あえてSENSE AND SENSIBILITYという題名の小説を書いたゆえんである」

OXFORD BOOKWORMSのレベル5も残るは『嵐が丘』のみとなった。これを済ますと蝸牛のあゆみながら、いよいよ最終段階に入る。大学では中国語にばかり目が向いていて、およそ半世紀ぶりの英語の勉強はうれしくもあるいっぽう英語も勉強しておくべきだったとの後悔もある。でも余裕なかったんだよね。

          □

「世情皆粉飾 哀楽無一真」(世情ハ皆粉飾タリ、哀楽ニ一ツノ真無シ)

永井荷風下谷叢話』にある大沼枕山の五言古詩「飲酒」の一節で、おのずと統一教会との関係を隠し、言い逃れに終始した経済再生担当大臣や、朝に死刑許可の書類に押印した日には昼のニュースが話題にしてくれるなどと放言を繰り返した法務大臣の粉飾が思い浮かんだ。

そして次に控えていたのが政治資金や選挙を所管する総務省の大臣の公職選挙法違反の疑惑で、これには裏金作り、証拠隠滅、亡くなった方を会計責任者とするトンデモ文書偽造等が絡んでいると報じられている。いっぽう大臣は疑惑を全面的に否定し「地元の方々から〈正直に説明していて感心した〉という声が上がっている」とまで述べた。

こんな報道に接すると狂歌をよみたくなるのがわたしの悪いくせだ

《総務の大臣(オトド)の選挙違反に寄せて 都ノ黄昏(ミヤコノタソガレ)

・このたびは幣もとりあえず選挙カー 手向ける金は疑惑紛紛

・死にびとが選挙書類に名前書く あな有難き日の本の国》

          □

週刊文春」十一月二十四日号「阿川佐和子のこの人会いたい」で阿川さんが「『週刊文春』の和田(誠)さんの表紙は和田さんが亡くなられた後も、ずっと続いていますけど、これは編集部の方針でして、『文春砲』と言われるほど際どい記事が増えてきた『週刊文春』ですが、表紙でかろうじて品性を保っているんです」と語っていた。 相手はもちろん和田誠の奥様平野レミさん。

自信に裏打ちされた態度だとしても文春編集部がこの文春評を載せているのは清々しい。他の週刊誌、雑誌、新聞等はよく見習うように。批評がなければ堕落する。

ジョージ・オーウェル動物農場』『一九八四年』、アンドレ・ジイド『神々は躓く』、ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』いずれもソ連で禁書とされた著作で、この国が批評をどれほど憎んだかの証である。批評を拒否するところに言論活動はない。批評されるのが嫌な人は言論活動は避けたほうがよい。それと誹謗中傷、悪罵と批評とを取り違えている人に訴えたい、自身の言論活動を見直していただきたい、と。

          □

十一月二十日夜、岸田首相は寺田総務大臣を公邸に呼び辞表を提出させた。これで岸田内閣では、およそ一カ月で三人目の大臣の辞任となった。いずれも「引き続き職責を果たすなかで、岸田内閣を支えていきたい」と辞任を否定していたのが一転しての辞任である。

天に羞じることがなければ辞任せず、もっと粘ればよい。無実の者を辞任に追い込むのは冤罪である。

マスコミの態度も困ったもので、「疑惑でもなんでもない」「地元の方々から〈正直に説明していて感心した〉という声が上がっている」という総務大臣に、疑惑でもなんでもないのに辞表を提出したのはどうしてですか、首相の職権濫用なのではないですかと問うてあげないのだろう。首相と総務相のバトルでもあれば、国民はもっともっと政治に関心をもつだろうに。

「一体政治家などといふ輩(てあひ)は、自分が政治を執つてゐるうちが、この世の黄金時代で、狗までが自分を見ると道をよけて、お辞儀をするとでも思つてゐるらしいが、実際市街(まち)を散歩してみると、狗ばかりか、人間までが自分を見ると、吠えつかうとしてゐるのを知る事が出来る」(薄田泣菫『茶話』)

さて、辞任した大臣たちに狗はどんな態度に出るのだろう。

          □

旅行業界が大変だからと旅行代金を補助する政策を打ち出し、ガソリン価格が高騰したといって燃料油の卸売価格の抑制のための手当てを行う、そうして電力ガス料金については補助金を出して負担を三割押し下げるという。ただし中止企業が多く供給するLPGはこの限りにあらずと2200万世帯は蚊帳の外である。

国会で審議されようとしている政府の総合経済対策に伴う2022年度第2次補正予算案の一般会計は29.1兆円、財政支出は39兆円、民間投資などを含めた事業規模は71.6兆円程度で、岸田首相は、これにより物価高や社会課題を解決し、持続的な成長の実現と日本経済を再生すると語った。

きんてん【均霑】という言葉がある。均等に霑(うるお)う、平等に利益、恩恵を受けること、また与えることをいう。補正予算にかかる上の金額を消費税減税で賄えば均霑になるのだが、いかがなものか?

          □

十一月三十日。新型コロナワクチン予防接種、五回目を受けた。いただいた説明書に「通常の生活は問題ありませんが、当日の激しい運動や過度の飲酒は控えてください」とあり、明日のジョギングはよいのだと少しばかりうれしくなった。

わたしが摂取したのは、ファイザー社2価ワクチン用BA.1/BA.4-5なるものであった。ワクチンについてわたしは本ブログ「新コロ漫筆〜ワクチン異聞」(二0二一年四月十五日)で「ワクチン開発にあたっては医師、研究者、製薬会社に加え多くの治験者が参加する。仙台市にある、おきのメディカルクリニックのホームページに、院長先生がファイザー社の開発過程についてやさしく解説してくれていて、それによると、21,720名の参加者に開発中のワクチンを、21,728名にプラセボ(偽薬)を投与し、両グループとも21日間隔で2回の注射を受けた結果、一次解析では、ワクチン接種群での発症は8例のみ、プラセボ群では162例あった。こうした過程を経ながら効果を見極め、有効率を確定する」と書いている。

このあと寺田寅彦の随筆「病室の花」を読んでいると、なかに造花と生花について「一方はただ不規則な乾燥したそして簡単な繊維の集合か、あるいは不規則な凹凸のある無晶体の塊であるのに、他方は複雑に、しかも規則正しい細胞の有期的な団体である。美しいものと、これに似た美しくないものとの差別には、いつでもこのような、人間普通の感覚の範囲外にある微妙な点があるのではあるまいか」とあり、ここでわたしは、ワクチンは生花、プラセボは造花、またビールは生花、ノンアルコールビールは造花で、ときにプラセボ効果があったり、造花に感動したり、わたしのようにノンアルコールビールでほろ酔いになったりするところに人の世の面白さがあると思った。

 


           

市ヶ谷界隈

『つゆのあとさき』は芸者や娼妓をもっぱらに描いてきた永井荷風が対象をカフェーの女給にシフトした作品で、はじめ一九三一年(昭和六年)十月号の「中央公論」に掲載され、同年単行本が刊行された。女給の生態とともに当時の東京の風俗模様やモダンなアイテムが描かれていて、昭和初期の風俗史を知るための一書となっている。

先ごろ何度目かの通読のあと作品ゆかりの市ヶ谷を訪ねた。といってもわが家からはあるいて行けるところなので、やや長めの散歩にすぎない。

主人公の君江は親の勧める縁談を嫌い、元芸者の友人を頼って家出し、私娼となったあといまは銀座のカフェー、ドンフアンに勤めている。二十歳の彼女が間借りするのは「市ヶ谷本村町◯◯番地、亀崎ちか方」、うれしいことに本村町という町名はいまも健在で、防衛省市ヶ谷庁舎や駿台予備学校市谷校舎がある。

f:id:nmh470530:20211213142158j:image

市谷本村町の隣が市谷八幡町。名前からおわかりのように市谷亀岡八幡宮があり、ここも作品の舞台となっている。というのも、君江のパトロンを気取る流行作家の清岡進が、境内のベンチで君江がカフェーの客で、元高級官僚だが疑獄事件で失職した松崎という好色な老人に身を寄せるのをみて嫉妬の炎を燃やし、陰にまわって彼女に嫌がらせを繰り返すようになる。神社での若い女給と老人との色模様をのぞき見する三十六歳の男という構図がさまざまな出来事の引き金となったわけだ。

f:id:nmh470530:20211213142511j:image
f:id:nmh470530:20211213142514j:image
f:id:nmh470530:20211213142517j:image

そうした事情はつゆ知らない君江は不安で手相身に占ってもらったりする。

手相占いがどんなものだったか、君江が占い師を紹介したもらった小松という男に告げる場面がある。

「でもねえ、小松さん。当分今の通りで別条ないんですとさ。覚えているのはそれつきりよ。いろんな事を言はれたけれど『何が何だかわからないのヨ』なのよ」云々。

「何が何だかわからないのヨ」は「東京行進曲」で知られる佐藤千夜子が歌った「愛して頂戴」の一節で、レコードは一九二九年(昭和四年)にリリースされている。

「ひと目見たとき好きになったのよ 何が何だかわからないのよ 日暮れになると涙が出るのよ 知らず知らずに泣けてくるのよ……」(作詞西條八十、作曲中山晋平

荷風の世相風俗への目配りは怠りなく、当時の流行歌をしっかり作品に取り入れている。ついでながら荷風自身が口ずさんだのは微醺のときの「裏町人生」だけだったそうだ。

そういえば銀座街頭の手相見ってみかけなくなった。二十一世紀にはいってもいたような気がするんだけど、はっきりしない。

なお『つゆのあとさき』は一九五六年に松竹で中村登監督により映画化されていて、長年みたい、みたいと切望しているにもかかわらずかすりもしない。

余談ながら市ヶ谷を散歩したあと外堀通り飯田橋のほうへあるいているとちょっぴり寂しげ、というか愁いを含んだ趣のある坂があり、標柱に「庚嶺坂」(ゆれいざか)とあった。おそらく江戸の坂、東京の坂に関心ある向きにはよく知られている坂だろう。

f:id:nmh470530:20211213142708j:image
f:id:nmh470530:20211213142710j:image

あちらこちら足を向けるうちに気のひかれるスポットに行き合わせるのはうれしく、街あるきの楽しみである。

標柱にはまた、江戸初期、このあたりには多くの梅の木があったため、二代将軍徳川秀忠が中国の梅の名所の名、 庚嶺をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あり別名として「行人坂」「唯念坂」「幽霊坂」「ゆう玄坂」「若宮坂」がしるされていた。この坂についてネットで調べていると「東京坂道ゆるラン」というブログがあり、上記のほかにも「祐念坂」「新坂」の名があり、坂の別名コンテストがあれば上位入賞まちがいなしですとありました。

 

 

 

 

「テイクオーバー」〜意外な拾い物

Netflixで配信されているオランダ製作の「テイクオーバー」は無職渡世の老爺の暇と退屈をしばし忘れさせてくれて、意外な拾い物感がありました。ゲージュツとか深い思索などまったく関係なく、現代のネット社会を素材に、昔ながらの巻き込まれ型のドラマが展開されます。若いころからわたしは巻き込まれ型が大好きなんです。

f:id:nmh470530:20221109144733j:image

ホワイトハッカー(コンピューターなどに関する高度な知識や技術を、善良な目的のために活用する技術者とはこの映画ではじめて知りました)のメル・バンディソンがハイテク自動運転バスのデータ漏洩を回避させたところ、バス会社のシステムがある国際的な犯罪ネットワークとつながっていて、彼女は組織から追われる身となります。組織は殺人現場にいる彼女の偽動画を流し、そのため犯してもいない殺人の罪で警察からも追われる立場となります。メルは一度だけブラインドデートをしたことのあるトーマス・ディーンの家に逃げ込み、成り行きで若い男女は逃亡の道連れとなってしまいました。いうまでもなく逃げてばかりでは危機からの脱出はできませんから物語はおのずと敵との戦い、冒険に転化します。

ネットでは、最先端の技術を誇るバス会社にしてはあまりにもセキュリティが甘すぎ、バス会社のセキュリティがゆるゆるといった批評が散見されましたが、わたしはこの映画でホワイトハッカーを知ったくらいですから技術面は皆目わからず、無知であることでかえって面白く観られたかもしれません。

それはともかくホワイトハッカーが主人公というのは新奇でしょうけれど、物語の型は昔からある冒険活劇で、その風味は、映画館の毎週の番組(プログラム)を埋めるために量産される映画(ピクチャー)そのもの、けして悪口ではないですからね、為念。

そうそう、国際犯罪組織の中核を中国企業としたのもオランダ国民の中国観を反映している気がしました。

『こんな日本に誰がした』〜新聞記事を検証すれば・・・

インターネット上のコミュニティサイトなど想像もできなかった頃の話。東大の政治学の先生は政界裏情報を官僚から、早稲田のほうは新聞記者から貰う、それぞれの業界に教え子が多くいて都合がよいが、確度は前者が高く、偏差値の差はこんなところにもついて回ると聞いたことがある。 

しかし日本の政治くらい軽く論じられる人ならあやふやな裏情報などなくても大丈夫、プチ鹿島『お笑い公文書2022 こんな日本に誰がした!』(文藝春秋)はその証だ。(お節介ながら、この書名から、昭和二十二年に菊池章子が歌ってヒットした「星の流れに」の一節「こんな女に誰がした」が思い浮かぶ若い方はどれほどいるのだろう)

f:id:nmh470530:20221104161414j:image

本書は官僚や記者の裏情報など関係なく、表に出た新聞記事を徹底して読み比べたうえで日本の政治を論じた快作だ。読み比べ対象は十四紙にのぼる、つまり新聞記事を検証した政治コラム集である。執筆は二0二0年十月から本年一月にかけてだからウクライナ侵攻や安倍元首相銃撃事件、旧統一教会の問題は含まれず、時期的には 公文書がないとか改竄とかリーダーがろくな説明をしないとかの理不尽が罷り通った安倍、菅政権の話が主で、いずれも快なる話題ではないけれど、そこは「時事芸人」のウデの見せどころで楽しく読ませてくれる。

たとえば菅首相の答弁、討論をめぐり《首相側近は1対1で相手を説得するのは得意だ」とも語る》(産経新聞)について「いかがだろうか。『1対1で相手を説得する』という行間がとても意味ありげです。それは官僚とかNHKとかの場合じゃ、いえ何でもありません」といった具合だ。

岸田首相については批判を受ければためらうことなく方針を転じる、変わり身の速さ、融通無碍を可能にしているのは岸田自身のこだわりのなさといった報道をもとに「ビジョンがなくこだわりがない怪物はなんでも飲み込んでしまう。この調子でどこまで行くのか。私は『本当は怖い岸田政権』と名付けたい」と論じている。国のトップの日和見体質とブレが重なるのはたしかに恐ろしい。 

本書ではじめて知った著者の文業に今後とも期待したい。

なお、退職とともに世間を降りた意識が強くなり、 年金生活とともに新聞購読を止めたわたしにはこのかんの日本の政治のクロニクルとしてもまことに有益だったことを付け加えておこう。