「オールド・ナイブス」

お気に入りのスパイ・ミステリーでどちらかというと地味系でシブい作品が映画化されるのはとてもうれしい。たとえば先ごろ公開された「オペレーション・ミンスミート ナチを欺いた死体」。原作は小説より奇なるノンフィクション、ベン・マッキンタイアー『ナチを欺いた死体 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』。

そしてこの四月八日からAmazon Prime Videoが配信している「オールド・ナイブス」(ヤヌス・メッツ監督)。原作のオレン・スタインハウアー『裏切りの晩餐』はここ数年に読んだスパイ小説ではわたしのベストです。

ここでは「オールド・ナイブス」を取り上げます。つまり原作ではなく映画に即して紹介します。

二0一二年ウイーン空港でトルコ航空機127便がハイジャックされ、犯人と百人を超える乗客全員が亡くなります。じつはハイジャックの数時間後CIAウィーン支局に「犯人は四人、銃は二丁、後部の着陸装置からの突入がよさそう」とメールが届いていたのです。送付したのは偶然乗り合わせたCIAの連絡員でした。ところが、どうしてか彼の存在は犯人たちの知るところとなり、したがって後部の着陸装置からの突入は断念に追い込まれ、事態は大惨事へとつながったのでした。

なぜ連絡員の存在が知れたのか。連絡員に過失があった?それともCIA内部にイスラム過激派とつながる者がいた?疑惑は取りざたされたものの決定的な証拠はなく真相解明には至りませんでした。
八年後、米国が捕らえたイスラム過激派の一人が、事故に対応したCIAウィーン支局に内通者がいたと自白し、名前は口にしないまま死去します。これをうけてCIAによる事故の再調査と内通者=モグラ探しがはじまります。担当するのは事件当時ウイーン支局のエージェントでいまも同支局に在籍するヘンリー・パルヘム(クリス・パイン)。ヘンリーはまず退職者で事件の際は局長補佐だったビル・コンプトンに接触します。彼の机上の電話からテヘランに電話がかけられていたのです。ただしこの部屋は誰でも出入りできました。

ついでヘンリーはビル・コンプトンの直属の部下で、ヘンリーの元恋人、そして事件を機にビルと別れ、CIAを離れたシリア・ハリソン(タンディ・ニュートン)のいるカリフォルニアを訪れ、二人は晩餐の席で向かい合ったのでした。

物語は事件究明にともなう緊張とかつての恋愛感情が絡みあうなか、対話と回想により進行します。息詰まる心理戦でありながら、そこには恋人どうしだった男女の哀感が漂っていて、ここのところがとてもよく表現されています。機会があれば劇場のスクリーンでも観てみたいわたしの偏愛の一作です。

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せっかくですから原作『裏切りの晩餐』についても少し触れておきます。

チェチェン紛争が勃発した際、ロシアで工作員をしていたヘンリーは同僚のCIA職員から「ヘンリー、これから何が起こるかわかるよな?俺たちが騒がなかったら、ロシアはチェチェンに深く入り込んでいく。そしてチェチェン共和国が崩れ落ちるまで撃ち続けるだろう」と声をかけられます。このとき『裏切りの晩餐』のCIAの一部はここまで認識していたのです。

にもかかわらずヘンリーは「我々はロシアを支援し続けた。命令に従い、私はロシア連邦庁を助けて、アメリカ国内の反プーチン・親チェチェンの運動家を特定した」と独白しなければなりませんでした。「俺たちが騒がなかったら」どころかプーチンを支援していたのです。ここからは前世紀末のチェチェンをめぐる事態から西側は何も学んでいないことが推測されます。

一九九四年から翌々年にかけてのロシア軍とチェチェン独立派武装組織との戦い、これに続くジョージアとロシアの戦争、そしてロシアによるクリミア半島侵略。ヘンリーはチェチェンでの出来事を思い出すことで、次に起きたことを変えられたかもしれない、「おそらく私はその兆候をもっとうまく読み取るべきだったのだろう」とつぶやきます。

ロシアによるウクライナへの侵略が続くいま、この言葉には切実なものがあります。

ベン・マッキンタイアー『ナチを欺いた死体 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』。

小林朋則訳、2011年中央公論新社。原書は2010年刊行。本ブログに書評がありますのでよろしければ参照してみてください。

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20150725/1437780836

オレン・スタインハウアー『裏切りの晩餐』

上岡伸雄訳、2015年岩波書店、原題「ALL THE OLD KNIVES」。こちらも本ブログに書評を載せています。

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20160620/1466384046)。

 

 

 

 

 

 

 

嘘と血

四月三日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の報道官、セルゲイ・ニキフォロフ氏がBBCのインタビューに応じ、ロシア軍から奪還した首都キーウ周辺の地域で、複数の市民が処刑され、集団埋葬地に埋められていたことが判明したと語った。

じっさいテレビにはロシア軍が移動したあとのキーウ近郊ブチャの路上に遺体が点在している光景が映されていて、遺体のなかには手首を縛られていた人もいたという。

これについてアメリカのバイデン大統領はプーチン大統領戦争犯罪人と呼び、ポーランドのマテウシュ・モラウィエツキ首相はSNSで「ロシアの犯罪はジェノサイド(集団殺害)だ」と 断じ、ロシアへのより強力な制裁を求めた。

いっぽうロシア政府は、ブチャの住民殺害について自分たちのしたことではないと、全否定する声明を出した。

ウクライナ側の情報がすべて正しいというつもりはないけれど、大量虐殺を知らぬ存ぜぬ、ウクライナによる偽装とするロシアの極悪ぶりは酷いというほかない。

 

一九二六年三月十八日のこと。天津で軍閥と交戦中だった国民軍の武装解除を、 軍閥側を支持する日本が北京在住の七カ国の公使と連名で求めた。 これに抗議する人々が天安門前に集まり段祺瑞政府への抗議デモを行なったのに対し政府側はデモ隊に発砲し四十七名の死者、百五十名を超える負傷者を出した。死者のなかには魯迅が教鞭をとっていた北京師範大学の教え子もいた。

これを知った魯迅は「墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない。血債は必ず同一物で返済されなければならない。支払いがおそければおそいほど、利息は増やさなければならない」と「花なきバラの二」(竹内好訳)に書き、この日、三月十八日を「民国以来のもっとも暗黒なる日」とした。

ブチャの住民の殺害について関与していないというロシアの声明を聞き、わたしはすぐさまこの魯迅の言葉を思い、血が流された事実を隠そうとするロシアによる虚言に憤るとともに、ウクライナで流された血はロシア側に償ってもらわなければならない、利子を付けて、と願った。政治のリアルを踏まえると血と復讐の連鎖があってはならないのはわかっている。それにしても…… わたしのいまのロシアに懐く感情をこれほどに表現してくれている言葉はほかにない。

学生のころ中国語を学びながら魯迅を読んだ。社会人になってもしばらくは読書の中心に魯迅を置いていたけれど、けっきょくその厳しさを敬して避けるようになった。いまロシアによるウクライナへの残虐行為に衝撃を受け、自身のなかに微かに残る魯迅の断片を噛みしめている。

「英雄の証明」〜ソーシャルメディアの光と闇と不条理

素晴らしくて繰り返し観たい映画のいっぽうに、優れてはいるけれど、もう一度観るのは躊躇する、っていうかなかなか立ち向かう勇気の湧かない名作があります。

前者はさておき、問題は後者で、わたしのばあい、たとえば「西鶴一代女」を再度観るまでにはずいぶん時間がかかりました。「嘆きの天使」と「自転車泥棒」も同様です。いずれも人間と社会のありようを抉る、その抉り方が半端ないんですね。

若いころ、マレーネ・ディートリッヒってどんな女優さんだろうと軽い気持で「嘆きの天使」を観て、覚えたことのない恐怖を感じました。相手役のエミール・ヤニングスの零落してゆく姿が辛くて、それまで想像すらしなかった男と女の関係がわたしを不安に陥れたのです。

子供に奢ってやっていっしょに鑑賞した「ミリオンダラー・ベイビー」のときは「お金もらっても二度目はお断りの暗さ」といわれ、じつはわたしの気持もそれに近かった。

とはいっても強い印象を残すかどうかを評価のひとつの尺度とすれば、これらはまことに優れていて、生涯忘れることはない作品なのです。

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そしてこのほどスタッフ、役者の方々に失礼はないと思いますが超弩級の再見躊躇作品に出会いました。アスガー・ファルハディ監督「英雄の証明」です。

垣間見られたイランの社会と日常生活はじつに貴重、そのなかで描かれたソーシャルメディアの光と闇と不条理。歌の文句じゃないけれどゴルフへ行こうとすればきっと雨、ラブレターを送るとサヨナラの返事が着払いで届く、そうした不運を極限まで深刻にした運命が借金にあえぐ男を翻弄します。

イランの古都シラーズ。ラヒムは新規事業の資金を持ち逃げされ、やむなく借金したものの返済が滞ったままになっていて、投獄され、服役しています。返済すればすぐにでも出所できるのですがどうにもなりません。

イランには服役中に休暇日があるみたいで、外に出られた日、婚約者が偶然に拾った十七枚の金貨を渡され、はじめは返済資金にしようとしますが、罪悪感にさいなまれたラヒムは落とし主に返すことに決めます。

善行がメディアに報じられると大きな反響を呼び、「正直者の囚人」の美談となります。他方、 SNSでは中傷や嫉妬や揶揄の言葉が飛び交っており、そうしたなかある噂をきっかけに状況は一変、前妻とのあいだに生まれた吃音症の幼い息子をも巻き込んだ大きな事件へと発展していきます。

再見がいつになるかは別にして、忘れようとしても忘れられない映画であることはたしかです。

(四月七日Bunkamura ル・シネマ)

辛夷と桜

本を読むのにいちばん参考にしたのは丸谷才一氏の書評、および同氏とその書評グループの、はじめは「週刊朝日」、のち「毎日新聞」に載った書評群、次が「週刊文春」連載の「本を狙え!」をはじめとする坪内祐三氏の書評だった。残念ながら二0一二年に丸谷氏が、二0二0年に坪内氏が逝き、お二人の書評は読めなくなってしまった。ほんとにお世話になりました。

おふたりのうち丸谷氏の人物像については作家仲間によるエッセイや國學院大学在職当時の姿を描いた嵐山光三郎の小説や中野孝次の回想などで輪郭くらいは浮かべられるのにたいし坪内氏のほうはよく知らない。

ところが先日、佐久間文子著『ツボちゃんの話 夫坪内祐三』(新潮社)という本が刊行されているのを知り、さっそく手にした。お酒、相撲、プロレスが大好きで、酒のうえのトラブルから半殺しの目に遭ったエピソードなど知っていることもあったが本書の「怒りっぽくて優しく、強情で気弱で、面倒だけど面白い、一緒にいると退屈することがなかった坪内祐三」の姿は奥様ならではの記述で、ようやく「文庫本を狙え!」の著者の人物像がすこしイメージできるようになった。

たとえばこんなところ。

「どんなことがあってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通していく精神を広津和郎は『散文精神』と名づけた。その感覚は、書き手としてのツボちゃんにとてもしっくりくるようだった」

享年六十一歳。心不全による急逝だったがだいぶん心臓は弱っていた。

村松友視のエッセイ「アメリカン・コーヒーよ、何処へ行く」に「飲む以上は強い酒を!喫う以上は強いタバコを!啜る以上は濃いコーヒーを!大勢は薄口に流されようとも、強さ・濃さを身上とする立場を持続しようではありませんか」とあり、坪内祐三の嗜好や生き方に通じているような気がした。

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Amazon Prime Videoの魅惑のモノクロ旧作群 から、第二次大戦中の捕虜収容所からの脱走をめぐるフレッド・ジンネマン監督「暴力行為」(一九四八年)を観て、日本人とちがって欧米の連中は収容所からの脱走や逃亡に積極的にトライする、どうしてだろうと疑問をもった。有名な映画では「大脱走」や「第十七捕虜収容所」があるが、邦画でこの種の作品は知らない。兵役逃れの小説やノンフィクションはあるが収容所からの脱走物語は読んだことがない。詳しい方ご教示ください。

どうしてなんだろう。とりあえず、咲いた花なら散るのは覚悟で捕虜になるのは散ったことを意味しているからもう抵抗は試みないとか、日本人捕虜は従順だから扱いもゆるくわざわざ逃げる苦労はしないとかの答えが浮かんだが、正しいかどうかは別にして、これは研究に値する問題だ。

それはともかくわたしは逃げるのが大好きだ。まがりなりに二十代半ばで日本の現代文学を読んでみようという気になったのは丸谷才一『笹まくら』がきっかけで、これは徴兵忌避した男が国内を逃げまわる物語だから、逃亡がどれほど好きかは明らかだろう。子供のころから身の回りにあまり関心なく、ややこしいことは避け、辛いことからは逃げる、できれば仕事からも早く逃げたかったのだが……。

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三月十日。ロシアのウクライナ侵攻開始から十四日目の昨日、ウクライナ各地の市や町から住民が逃げ出すなか、南部マリウポリの産科・小児病院が空爆を受け、職員と患者ら少なくとも十七人が負傷したとの報道があった。ウクライナのゼレンスキー大統領がいうようにまさしく「残虐行為」そのものであり、ロシアによるウクライナへの攻撃は見るに忍びないところまで来ている。

「理性と、知恵と、技巧をもってしてもなし得ないことは、暴力をもってしては決してなし得ないものだと思っている」(モンテーニュ)。

ロシアの侵略による先行きの不安、人命の犠牲などに心が揺れるなかノーとしておいたこの言葉が心に沁みた。

ロシアがいまウクライナとの関係を見直したいのであればかつてソ連が東欧諸国を衛星国とした方式ではなく、そのありかたをテーマに話合いを行えばよい。その意味でプーチン大統領が提出した問題を否定するつもりはない。しかし武力による侵略に踏み切った時点でもう論外である。

こうした事態にこそ国連は重責を果たすべきだが、常任理事国による世界平和への威嚇にいまの国連で有効に対処するのは困難である。これがまちがった悲観論であるよう願ってはいるけれど。

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一九四五年のきょう三月十日は米軍による東京大空襲で一般市民およそ十万人が犠牲となった日である。墨田区横網町公園にある東京都慰霊堂ではこの日に春季大法要が、また九月一日には関東大震災の犠牲者を悼むとともに殺された朝鮮人を追悼する朝鮮人犠牲者を追悼する集会が催される。ことしも春季大法要が新型コロナにより規模を縮小して開催された。 

ちなみに関東大震災の死者・行方不明者十万五千人のうち三万八千人は本所陸軍被服廠跡で亡くなった。跡地の一部は横網町公園となり震災記念堂が建てられ、一九四八年からは第二次世界大戦での身元不明者の遺骨もここに合祀されるようになった。こうしたいきさつから一九五一年、現在の東京都慰霊堂となった。

先走った話になるけれど、気になるのは秋の法要、というのも朝鮮人犠牲者追悼集会には歴代都知事から、痛ましい出来事を世代を超えて語り継いでいかなければならない、といった趣旨の追悼文が送付されてきていたのに、小池都政下では見送られたままになっている。

小池知事は「関東大震災で亡くなったすべての方々に追悼の意を表したい」と述べ、大法要にメッセージを寄せることで「すべての方々」を追悼するとした。だが震災で亡くなったのと人災で亡くなったのとは異なる。南京事件は知りません、忘れました、いつまでもいうな!のパターンがここにもあると思わざるをえない。

さて明日は東日本大震災から十一年目の三月十一日を迎える。

たまたま読んでいた薄田泣菫『茶話』に渋沢栄一の話題があった。泣菫は、総じて富豪は哲学者が好きで、その例証として渋沢栄一孔子を先生扱いしたのを挙げている。どうしてかといえば孔子様はいろいろ難しいことを聴かせてくれ、説いてくれたうえに金を貸してくれなぞといわないから。お金と関わらない哲学者、思想家大歓迎である。

ところで渋沢が道徳経済合一の思想を唱えたのは広く知られている。「道義を伴った利益の追求」や「公益を大事に」といった主張のバックボーンにあるのは孔子であり儒教だった。渋沢はこうした主張やテレビドラマの影響でいくぶん神格化されているようだ。

彼は関東大震災を道徳が地に墜ちたことの天罰とした。東日本大震災では石原慎太郎が同様のことを述べたのは記憶に新しい。この渋沢の議論にたいし菊池寛は「天譴ならば栄一その人が生存するはずはない」と、宮武外骨は「天変地異を道徳的に解するは野蛮思想」「虚業渋沢栄一」と論じた。

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三月十二日。朝10kmヴァーチャルマラソンを走った。一月、二月とも59分台で、60分超えになるのは嫌だなといささか緊張していて、それがかえってよかったのか55:34でフィニッシュできた。男女総合ランキングは205/667、男性ランキングは192/591。

午後は新型コロナの三回目の接種をしたので安静にしてテレビでラグビーを観戦し、晩酌のあと早々に就寝。

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三月十三日。昨日の接種で左腕の針を刺したあとが痛む。朝八キロのコースを走りに出たが発熱が怖くて半分ほどで止した。熱に弱く三十七度を超すのはなんとしても避けたい。

「世に立つは苦しかりけり腰屛風まがりなりには折りかがめども」(永井荷風

接種のあとが痛む。ロシアのウクライナへの侵略をめぐる報道を見て心が痛む。

週刊文春」三月十七日号で 朝日新聞元モスクワ支局長で論説委員の駒木明義氏が「最悪のシナリオは、ロシアによる"民間人の大量虐殺です。ゼレンスキー大統領が根を上げるまで、一般人を計画的に惨殺する。過去にロシアがチェチェンやシリアで行った非人道的な殺戮行為が、ロシアの兄弟国であるウクライナでも現実化するのではないか。現下の状況から、そうした危機感を抱かざるを得ません」と語っていた。

ロシアへの経済制裁はじわじわと効いてくるだろう。しかしいますぐに止めてほしいのはウクライナ国民の虐殺、惨殺なのだ。この事態に有効な対応ができない国連ってほんと頼りない。ロシアの扱いを含め国連改革は喫緊の課題である。

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昨年の秋に観た「MINAMATAミナマタ」は観客をして粛然とさせずにはおかない力のある作品だった。これに続いてユージン・スミスが一九五七年から八年間ほど住んだニューヨーク、マンハッタンのロフトでの生活を記録したドキュメンタリー「ジャズ・ロフト」も公開された。ユージン・スミスの生涯を回顧し、再評価する機運が高まるなか石井妙子『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』(文藝春秋)が刊行されたのでさっそく一読した。

稀代のカメラマンと、妻で協力者の活動が細部にわたりくっきりと示されていて、これから先、ユージン・スミスを語るときには不可欠の一書となるだろう。

二人は一九七一年に来日、同月日本で婚姻届を出し、翌月から一九七四年十月までの三年間水俣病水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などの取材と撮影を行なった。二人の水俣での活動はわたしが大学生だったころ(1969~73)とほぼ重なっている。公害にはそれなりに関心を持っており、チッソ水俣工場の酷さもある程度は知っていた。お隣は文化大革命の時代で、人民公社が公害克服の成果をあげているといった話もあり、いまとなっては汗顔の至りだがときに人民公社は公害克服の希望の星と見上げたこともあった。それらを思い出しながら頁を繰っているうちにほんとは笑っちゃいけないけれど笑わずにはいられなかった挿話があった。

一九七一年十二月ユージン・スミスチッソ五井工場で暴行を受けて神経を痛め、それからさき視力低下に悩まされた。このとき妻のアイリーンにお見舞いの電話をかけてきた人のなかに昭和電工の社長夫人がいて「本当にチッソはひどいですね」といった。昭和電工すなわち新潟水俣病の元凶の会社の社長夫人のお言葉である。

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国連機関や米国が提供するニュース報道は死傷者の数やロシア軍の攻撃の現状ばかりでまったくやりきれない。国連も米軍も死傷者を数えているだけじゃないか。もちろん実態の把握はだいじだが、もっともっとウクライナの人々の生命を救い、ロシアの攻撃をどう止めるかの問題に努力を傾注してほしい。

そうしたなかロシアの公共放送の女性職員が、アナウンサーのうしろに立って戦争をやめよう、ロシアの報道に騙されないで、と書いたプラカードをかざした姿をみて凄いなと驚くとともに今後の処分と処遇を思って不安と心配に襲われた。これに較べると死傷者数を合計している機関など高みの見物に等しい。

もちろんわたしとてそれが謬論なのはわかっているが、そういいたくなるほどやむに止まれない気持なのだ。外交、軍事のプロならば事態解決に向けてもっと知恵を出せよ!といいたい。経済制裁もよいが、これでプーチン政権が揺らぐとしてもだいぶんあとの話だ。いまそこにある危機をなんとかしてくれ。

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三月二十日。散歩をしていると根津神社の裏門坂の辛夷に花が咲いていた。上野公園の桜の開花もまもなくである。

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辛夷は蕾から開花まで一直線と思いがちだが、作家の高橋治は、莢から花弁が白い花をのぞかすなり鵯(ひよどり)がサラダにしてしまうから困ると『木々百花撰』に書いている。

また木山捷平はせっかく辛夷の木の苗を贈られて植えたのになかなか花が咲かないと嘆いている。随筆「十一月の博物誌」によると木山が練馬に家を新築した際、庭木がないのでと辛夷の木の苗を贈られた。ステッキよりも短い苗は数年のあいだにぐんぐんのびたのに花が咲かない。贈ってくれた人に、あれはほんとに辛夷かと訊くと、相手はまちがいないと断言した。そこで近所のお寺にあるこぶしの大木と比べてみたところ葉の色形が全然ちがう。

「お寺の葉がナシの葉のように小さく粋で、うちの葉はいちじくのようにだだっぴろく、下品だった」「やけをおこしてぶち切ってやろうかと思った」とこの人らしくない言葉をしるしている。

ぶち切るのを思いとどまって二、三年すぎてようやく花が咲いた。葉をみたところ、ご近所のお寺の葉の色形とおなじだった。ここで木山は辛夷の葉の色形は変化するというのだが、すべての辛夷が花を咲かせるとき葉の色形がそれまでとちがうようになるかどうかは疑問としておこう。

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中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』(文春文庫)を読了。読み終えて思う、俗に「貧乏暇なし」という。わたしもそのひとりだったが齷齪するのが嫌で、退職とともにトシヨリ生活にはいり、いま十二年目。さいわい貧乏ではあるけれど暇のある隠居生活を続けている。贅沢をいえば前倒しで隠居生活を望んだが残念ながら貧乏が許さなかった。

二0一一年に下流年金生活者となっていちばんの変化は購書をできるだけ控えるようになったこと。そうすると本に向かうエネルギーもずいぶん衰えた。いまは余燼くすぶるといったところで図書館や青空文庫のお世話になりながらそれなりにたのしんでいる。 先日は読んでいるさいちゅう「腹の底」が一瞬「屁」の字に見えた。どうしてかわからないけれど意味からすると関係のない話ではないと苦笑いした。「巨人の星」の主題歌「思い込んだら試練の道を」を「重いコンダラ」と解釈した方がいて整地用手動式ローラーはコンダラの別称をもった。世の中いろいろ。

以下、隠居のこごと。国会の憲法論議に物申したい。現行憲法歴史的仮名遣いで書かれていて改憲には整合性を要する。そこで仮名遣いを歴史的仮名遣いに戻すことを論議してはいかがか。わたしは歴史と文化の一貫性として旧仮名を正規とするのはありと考えるが、それは別にして、はじめに言葉ありき、国会議員諸賢の積極的議論を望みたい。

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三月二十八日。先日散歩していると根津神社裏門坂の辛夷の木に花が咲いていた。桜よりわずかに早く開花する。そしてきょうは散歩のとちゅう本郷通りに面した向丘の浄心寺の桜がきれいで、しばし立ち寄りお花見をさせていただいた。

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『ほいきた、トシヨリ生活』〜隠居のしあわせ 

 中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』(文春文庫)を読んだ。著者の映画や本や落語などの好みの感覚がわたしにはうれしく、これまで多分に刺激を受けてきたコラムニスト、エッセイストである。

単行本は『いくつになっても、トシヨリ生活の愉しみ』として二0一九年に文藝春秋から刊行されている。不覚にもこの単行本は知らなかったが、知っていてもこの書名では食指は動かなかっただろう。文庫本の改題で読書意欲はグンと高まった。

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本書で中野さんは素敵なトシヨリ生活を送った人たちを讃えていて、そのひとりに「仮面ライダー」で死神博士を演じた天本英世(1926-2003)がいる。学徒出陣で兵役に召集され、戦後は東大法学部に入学して外交官をめざしたが当時の政府の政治姿勢に失望し、中退して役者に転じた。個性的な脇役として活躍し、また岡本喜八監督作品のシンボル的存在としてその大半に出演した。小津作品に笠智衆、喜八作品に天本英世である。また私生活ではスペインに傾倒し、著書のほかスペイン民俗音楽の日本での屈指のレコード・コレクションを持つことでも知られていた。遺骨は本人の生前の意志に基づいてスペインのグワダルキビール川源流に散骨されている。

中野翠天本英世によせて「生涯独身だった。こういう人は孤独というより孤高と呼ぶべきなんじゃないでしょうか。誰が何と言おうと、何と見ようと、好きに生きたほうが勝ちだと思わせてくれる」と述べている。金言ですね。

この金言の源をたどってゆくと中野さんが明治生まれの「最強の同志」と賛美する森茉莉(1903-1987)がいて、「ぐうたら」に居直って平然としている森鴎外の娘は「ぐうたらで素っ頓狂の変わり者には違いない。女の王道(良妻賢母)からはだいぶんはずれたものの、精一杯好きに生きた」のだった。

もうひとり先年ドキュメント映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」で話題を呼んだ写真家ビル・カニンガム(1929-2016) について中野さんは「好きなことだけ執拗に。興味の無いことはすべてパスー。これ、私の理想です」と書いている。

天本英世森茉莉ビル・カニンガムの三人からおのずと中野さんが理想とする人生が見えてくるだろう。

中野翠は四十代でエッセイ集『偽隠居どっきり日記』という本を出している。若いときから隠居にあこがれていて、わたしがこの人の著書を読むのはここにも一因がある。わたしの隠居志向は永井荷風に煽られたもので、そこからあちらこちらさまよううちに女流の偽隠居を知ったしだいだった。

中野翠は一九四六年生まれだから、すでに偽隠居たる必要はなく、本格的な隠居としてこれからその力を存分に発揮できるところにいる。そこは「トシヨリというのは世間の中心からハズレた存在だけにアナーキーであることが案外、許されるんじゃないの?子供同様、大目に見られるんじゃないの?」「分別に凝り固まって、自分を抑えて生きて来た人たちでも、トシヨリともなれば、『お役目ご苦労さん』というわけで、もはや恐いもの無しというふうになってもいいんじゃないの?」といったところだ。

おっしゃるとおりで、定年退職してから十二年目にある当方も隠居のしあわせを存分に味わっている。

 

「暴力行為」〜収容所からの脱走をめぐって

Amazon  Prime  Videoの魅惑のモノクロ旧作群に「暴力行為」が収められていて十数年ぶりに再会しました。ナチス戦争犯罪を問い、また信念を貫く人物を多く描いたフレッド・ジンネマン監督(1907-1997)の初期の作品です。 あまり知られていないとおぼしい秀作にこうして出会えるのはじつにうれしい。

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第二次世界大戦の末期、ドイツ軍の捕虜となりながらようやく合衆国に帰国した二人の男が、戦後のいま追う男(ロバート・ライアン)と追われる男(ヴァン・へフリン)の対立する関係にあります。はじめは追う男の不気味さが強調されるばかりで、そこにいたった原因やいきさつはわかりません。かれらの戦中と戦後のあいだに何があったのか。この謎が物語の進行とともに解明されてゆきます。ネタばれを避けたいので詳しくは書けませんが、要は収容所からの脱走に起因しています。

ハリウッドには「大脱走」や「第十七捕虜収容所」のように収容所からの脱走をテーマとする作品がいくつかあり、本作もそのひとつですが、脱走の過程を描くのではなく、脱走計画が戦後に尾を引いているという意味では、本格に対する変格といってよいかもしれません。

映画が公開されたのは一九四八年ですから、男たちが収容所にいたのはつい昨日のことでした。戦争の記憶はまだ生々しく、捕虜生活にサスペンスを絡めた作品はどんなふうに鑑賞されていたのだろう、といささか気になりました。そうそう、ヴァン・ヘフリンの妻役をジャネット・リーが演じていて、多くの映画ファンにはうれしいキャストとなっています。「サイコ」(1960年)の十二年前です。

エンドマークのあとふと、欧米の人はけっこう収容所から逃亡を企てるのに、日本人はしない、というかそんな事例はないといってよいのじゃないかな。寡聞にして日本人が収容所からトンネル掘って逃亡した話は聞いたことがなく、先にあげた「大脱走」や「第十七捕虜収容所」のような収容所からの脱出を扱った日本映画も知りません。どうしてなんだろうと疑問を覚えました。宿題としておきましょう。 

「寒い国から帰ったスパイ」(マーティン・リット監督)のアレック・リーマスリチャード・バートン)とリズ・ゴールド(クレア・ブルーム)の男女はベルリンの壁を越えようとして憤死してしまいましたが、いっぽう東ベルリンから西ベルリンへ地下にトンネルを掘って移動したという実話にもとづく、その名も「トンネル」という映画がありました。

逃亡の企てが多いと、おのずとトンネルとの関係は密になります。

ルース・ベネディクトが『菊と刀』に「文化の伝統があるところには、戦時の慣行がある。国ごとに多少の異同はあるにせよ、欧米諸国はそのような慣行をなにがしか共有している。(中略)捕虜の行動には、特定のパターンがある。そのようなパターンは、戦争が欧米諸国の間に限定されている場合、予測可能である」(角田安正訳、光文社古典新訳文庫)と書いていて、そこから考えると日本兵が逃亡を企てず、トンネルを掘ろうとしなかったことで欧米諸国の予測は大きく外れたと思われます。

電子辞書

二00七年に書いた「電子辞書の時代に」というエッセイに、わたしは、大学院で英文学を専攻する知人から聞いた話として、電子辞書があるので特段の必要がない限り教室に紙の辞書を持参する院生はいないと書いていて、すでにこのころ大学では辞書は頁を繰って引くのではなく、キィ・ボードを打って調べるのが主流となっていたようだ。

そうはいってもわたしは辞書を引いてきた「昭和の子」なので電子辞書には見向きもしなかった。ところが昨年とうとう電子辞書の傘下にはいってしまった。

きっかけは辞書ではなく歳時記だった。以前から大型の歳時記がほしかったが、春・夏・秋・冬・新年と五冊の大型本となるとコンパクトにまとめられた一冊本より使い勝手が悪そうだし、置き場にも困るので敬遠してきた。

それがふと思いついて電子本の書目を調べてみたところ、あこがれの大歳時記があり、すぐさま購入してKindleiPhoneiPad miniに入れた。そこからさらに大歳時記をもっと使いこなすには国語辞典や古語辞典といっしょになった電子辞書がよいかもしれないとこちらも調べたところ、CASIO EX-wordのいくつかの機種のなかに格好のものがあった、というのがわが電子辞書ことはじめである。

たしかに便利でメニューは充実していて高齢者の玩具として申し分なく、長年親しんできた中国語辞書も、ご無沙汰したままの英語辞書もこのさい電子辞書にしてみようという気になった。歳時記のはいったものは日本語辞書が充実し、英語辞書はあるが中国語辞書はないので中国語の充実した機種を買い、さらによい機会だから英語の復習もしてみようと、辞書のほかに大学受験のための参考書やリーダーが多数収められている機種も入手し、かくて三台の電子辞書をもつ身となった。

電子辞書で学習した成果をひとつお披露目しておきます。

収められている英語の参考書に、英語の人称代名詞をandでつなげるときは「二人称→三人称→一人称」という順番が慣用的に決まっているとあった。「You and I are good friends. 」という言い方は知っていても、どうしてなのかは考えたことがなかった。勉強には疑問が大切なのに。

つぎにフレッド・アステアシド・チャリシーが主演した大好きなミュージカル「バンドワゴン」で用いられていた名曲「あなたと夜と音楽と」が浮かんだ。

「You and The Night and The Music 」(アーサー・シュワルツ作曲、ハワード・ディーツ作曲)、人称代名詞のつぎに夜、そのあとに音楽がくるのは普通名詞では時間帯を先にする、そしてコール・ポーターの名曲「Night and Day」から推して昼と夜とでは夜が先にくるといってよいのかな。いやいや、day and night もありだ。うーん、よくわからない。

ついでながら慣用的に順次が決まっているものとして「cup and saucer」「salt and pepper 」「pencil and paper」「mother and father」(日本語の父母とは逆ですね)「black and white 」「toast and tea」「rice and miso soup」などが挙げられる。

電子辞書にはたくさんの英語の読み物があり、なかに「オズの魔法使い」があった。ジュディ・ガーランド主演の映画「オズの魔法使い」の原作はライマン・フランク・ボームが一九00年に発表した同名の児童文学小説で、わたしが読んだのはやさしくリライトしたものだが、そのなかにドロシーが「ToTo and I are hungry.Let’s stop at the next house.」という場面があり、並列のばあい、わんちゃんであっても ToTo がわたしドロシーより先に来ている。