新コロ漫筆~「客子暴言」を読む

永井荷風に「客子暴言」という随筆がある。 初出は大正五年(一九一六年)七月一日「文明」、いま『荷風全集』第十二巻(岩波書店新版)に収められていて、四頁ほどの短文ながら、このころの性風俗を俯瞰するのに有益また貴重な一文であり、また新型コロナ禍の現代を考えるにも裨益するところが大きい。

その冒頭「去月初め頃より東京市中を手始に日本全国津々浦々に至る迄淫売女転芸者湯女飯盛の類厳く御詮議」をうけて吉原、品川など官許の遊里が大繁盛したとある。

おそらく官許の遊里側が警察に私娼の取締りを働きかけたのだろう。この時点では公娼の店主側が権力との癒着が強いぶん力関係では私娼側を上回っていたと思われるが、圧力団体として取締りを要請しなければならないほど私娼側の追い上げがあった構図がみえてくる。それだけ既得権益は危うくなっていた。

お客にとって公娼と私娼の区別など関係なく、安くてたのしいひとときがあればそれでよし、廓に上がって昔ながらの作法、しきたりに煩わされるより、待合に芸者を呼び、ともに気楽な時間を過ごすのを好む男が多くなっていた。

「隠居(荷風自身のこと)の若かりし頃には書生にて芸者買に行くものは少し大抵は廓通ひなり(中略)近頃は書生も少し気のきいた事云ふやうなものは大抵待合へ行くやうなり」というふうに変化の波が及んでおり、しかも待合では自由な会話もたのしめるから女の側にも会話の素養が求められる、となれば「廓の中ばかりに居て芝居活動写真にも行つた事のない花魁では話が面白からずそれよりは外出自由の芸者何かと世間話もできて面白き訳なり」である。おなじく金を介した男と女の関係であっても公娼側は守勢に立たされていて、巻き返しのため「淫売女転芸者湯女飯盛の類厳く御詮議」となったのであろう。

荷風はこの事態をどうみていたか。

ひとことでいえば「女子操を売りたりとてさして今の世の害になるとも思はれぬ」「女子売春の如きはどつちにしても大事にはあらざる」ものであり、待合で枕営業をする芸者の取締りを行なっても社会がよくなるなんてことはなく、それよりも「日々新聞紙上の記事を御覧あれかし。大臣も議員も堂々たる男子千円か二千円の賄賂にて大事な節操を売買するにあらずや。芸者よりも劣りたるものなり」と断言したのだった。

性を売る女に、権力を持つ男の政治スキャンダルを対置した荷風の主張は承知していた。ただし「客子暴言」については記憶にない。『荷風全集』を通読した際に目を通していたはずなのだが、覚えていないのはそのとき切実さを感じていなかったためだろう。しかしコロナ禍のいまこれを読むと荷風の議論にはひしひしと迫ってくるものがあり、けして過去の話ではなく現代の問題でもあることに気づく。

安倍前首相はいわゆる「モリカケ桜」や河井克之・案里夫妻の公選法違反事件などの政治スキャンダルを抱えており、いずれにも誠実さを欠いたままの対応に終始し、辞任した。

森友学園の問題では一切の関わりはないと強弁し、そのため財務省は公文書の改竄まで行い、それをやらされた職員は自殺した。桜を見る会の問題ではホテルニューオータニでの会費五千円の前夜祭のパーティに補填はなかったと虚偽答弁を繰り返し、辞任後、秘書による政治資金収支報告書への不記載が明らかになったなどと陳謝した。河合夫妻に自民党本部から振り込まれた一億五千万円と選挙買収費用との関係は曖昧なままにされている。

そのいっぽうで、新型コロナウイルウス感染拡大に伴う持続化給付金の申請受付に先立ち、安倍内閣性風俗関連営業の事業者(ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場など)は、新型コロナ対策の持続化給付金の対象から外されると発表したのである。のちに撤回したとはいえ税を課しながら支援を拒否するなどとんでもない話である。

こうした政府の体質は菅内閣においてもおなじで、歴代総務大臣とNTT幹部との、また総務省の官僚と首相の長男を交えた東北新社幹部との会食問題への木で鼻を括ったような対応をみれば明らかだろう。欲に目が眩んでいては感染症対策を誤る。 GoToキャンペーン ではアクセルとブレーキを踏みまちがえた。いまはコロナ対策をさしおいてオリンピックパラリンピックにうつつを抜かすことにならないよう願うばかりだ。

現代の社会を改造しようとするなら、まず「女子の身売の風習」を改めよ、吉原の公娼や新橋の芸妓はそのままに浅草の白首(売春婦)を退治するなど本末を誤っているという荷風にならっていえば 、ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場などに勤める女性たちを追いやり、虐げるのは本末を誤るもの、まず正すべきは虚偽、不正、便宜供与などなど、詳しくは週刊誌、新聞紙などの報道を御覧あれかし。

 

「逃げた女」

女は結婚して五年、そのかん一度も離れたことのなかった夫がはじめて出張となり、彼女はソウル郊外にいる女ともだちを訪ねます。面倒見のよかった先輩は離婚していまは親しい女性といっしょに生活してい、もう一人の先輩は高収入で気楽な独身生活を楽しんでいます。そして彼女はたまたま旧友とも出会います。彼女と旧友の夫とは以前に揉めごとがあったようで、女は旧友に過去の過ちを謝っていました。

女はふたりの先輩と旧友に「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫のことばを繰り返します。けれど彼女が語りかける三人の女には「何があっても一緒にいるべき」男はおらず、それどころか喉に刺さる小骨のような男の存在が垣間見されます。夫のことばを繰り返す女のしあわせの確かな手ざわりもわたしはことばほどは感じませんでした。

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食事をし、お酒を飲み、適度に親しく何気ない会話を交わしながらともに過ごす時間、まったりとしたひととき。そのなかで、女たちは心の窓を開いたり、閉じたり、たわいない語らいに含みを持たせたりするうち微かな不安や孤独を含んだ日常がちょっぴり露わになります。

あとはすべてスクリーンを見つめ、思い出しながら想像するほかありません。ホン・サンス監督の仕掛ける想像への刺激に引き込まれる方もいれば、反対にあまりに少ない材料に不満を覚えた方もいらっしゃるでしょう。なにしろ上映時間は七十七分なのですから。わたしはといえば想像力は極めて乏しいくせに前者の立場にあるとしておきましょう。

ラストシーンの海ではさざ波が寄せては引いていました。大波とか台風のような事件はなく、あるのは暗喩として提示されたさざ波をめぐるさまざまなことがら。

「いたづらに過る月日もおもしろし花見てばかりくらされぬ世は」(大田南畝

花を見て暮らす日常に代わって、ここにはさざ波を想起させる「いたづらに過る月日」に潜むスリルとサスペンス、逃げることの冒険があります。それらをあえて総称すればおもしろさがあると思いました。

(六月十五日ヒューマントラストシネマ有楽町)

ワクチン接種一回目予約完了

「さつきの頃、家々にのぼりたつるをみて によきによきとたてる幟の子だからはげに家々の御珍宝かな」大田南畝

五月はかくありたいものだが、いまはオリンピックパラリンピックと新型コロナ感染症が合体し「によきによき」と不気味に迫ってきている感じがする。

おなじく大田南畝『俗耳鼓吹』にある笑い話をひとつ。

 浪速の一本亭芙蓉花という人が江戸に来て浅草観世音の堂に絵馬を捧げ、狂歌をよんだ。

「みがいたらみがいただけはひかるなりせうね玉でもなんの玉でも」

「せうね」は性根、心がまえ、根性です。

どなたかがこれに応じた。

「みがいてもみがいただけはひかるまじこんな狂歌の性根玉では」

もうひとつ 多稼翁当時(タカオキナ・ソノカミ?)という人の落首があり、こちらはさすがの南畝先生も本文に収めるのは憚られたのだろう、欄外に手書している。

「金玉はみがいてみてもひかりなしまして屁玉は手にもとられず」

巧みに風刺、皮肉、揶揄する狂歌のやりとりに江戸の社会の魅力をかいまみた気がした。

ついでながらレイモンド・チャンドラー『リトル・シスター』(村上春樹訳)でフレンチ警部補が「ベイ・シティの警官はどうしてそんなにタフになれるんだろうな、キンタマを塩水で漬けるとか、そういうことをしているのかい?」という箇所の清水俊二訳「ベイ・シティの警官はどうしてそう威しが好きなんだね。頭を塩漬けにでもしてるのか」。

原書がないからわからないが「頭」と「キンタマ」に互換性はないはずなのに。

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わいせつ行為で免職になった者がいつのまにかもう一度教壇に立っていたとニュースで知り、驚き、あきれた。そうした過去をもつ人は教壇ばかりでなく人前に立つのも避けたいと思わないのかなあ。それともふつうの神経からかけ離れている、というかもともと常人の神経ではないから淫らな行為に及んだのか。

チェックする側の杜撰さにもあいた口が塞がらない。安倍内閣のもとではじまった小中高の教員にたいする免許更新制度は、できるだけ教員に自由な時間を与えない、手足を縛って鞭を当て続けなければならないとの思いが政府与党の考え方のベースにあったとわたしは睨んでいるが、肝心なことが抜かっていたわけだ。

永井荷風が「二百十日」という随筆に「西洋にては上流の子弟は男女を問はず年頃になるまでは市中の学校には通学せしめず家庭教師について学ばしむといふ。わが国にても追々さうでもしなくては叶ふまじ。半玉でも抱えた気になつて月経を調べる先生出づる世の中大事な娘にもう学問はさせられず」と書いている。

大笑いしたあとで以下の二点につき疑問を覚えた。

西洋上流家庭において家庭教師を雇った一因に、教師のセクハラ、わいせつ行為を避けるためもあったのか、もうひとつ、大正時代には荷風のいうように、女学校の教師のなかに生徒を半玉(芸者の見習い)のようにみていた者もいたのだろうか。学校とは厄介なところである。

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紀州ドンファンと呼ばれた人の殺害事件から三年ほど経った四月二十八日、元妻が容疑者として逮捕された。

殺人事件の捜査に優先順位はあってはならない、公式には。しかしトリアージじゃないけれど、いずれを重要視するかという微妙な問題はあるような気がする。元妻はいま容疑者であり、いずれ真相が明らかにされるよう願っておくが、女に金を使いまくった大資産家の痴情のもつれに警察はどれほどの位置づけをしていたのだろう。

ウィキペディアに、二十世紀に活動した日本の政治活動家、ヤクザ、実業家、通称「歩く三億円」、えせ同和行為の黒幕、大物の同和事件屋として名を売ったと紹介のある某が一九八四年に入院中の病院で殺害されたときは、二三度みかけたことのある人物だっただけに驚きはしたが、他方で捜査の優先度、喫緊の度合はそれほどでもないだろう、暴力団とのいさかいと考えられる事件を担当する捜査陣のモチベーションも高くないだろうと想像した。

捜査は警視庁で殺人事件を担当する捜査一課にくわえマル暴担当の捜査四課や公安警察まで動員して行われたが、けっきょく迷宮入りとなった。一部には霞ヶ関から恨みを買っていたことから暴力団による犯行ではなく、公権力を背後に持つ特殊部隊の犯行と報じる向きもあった。こうしたいきさつから紀州ドンファンの事件にたいする捜査陣の胸の内を忖度したしだいである。

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月に一度、第二土曜日に行われている10キロレース(ヴァーチャル)に出走していて、先月の結果は 56:58 、440/1012、昨秋七十歳になってからではいちばんよい成績だった。うれしいことに今月五月八日のレースはそれを更新して、56:16、283/846だった。まことにめでたく、若干強化した筋トレの成果だと信じたい。

ときにかつてのタイムを思わぬではないけれど繰り言に過ぎない。すでに人さまとの闘いどころでなく、何よりも自分との闘いである。他の競技はわからないが長距離走のよいところは高齢になっても自分との闘いをバネにそれなりにプレーできることにある。新コロ禍のなか走れるのはありがたい。

家族からは、あまりタイムに熱中しない、タイムにこだわる高齢者で故障する人は多いと説教されている。わたしもあくまで完走第一、タイムは余徳であり、そのうえで適度な余徳の追求が完走のモチベーションを高めるという。

秋に行われる予定の東京マラソンは落選だった。早くフルマラソンを走る機会がやって来てくれないと完走は難しくなるのではと心配している。

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いま池田清彦『騙されない老後』(扶桑社)を読んでいて、なかに毎日3キロのジョギングをすると決めたら、真面目な人ほどそれを守る、若い人はそれで効果があるかもしれないが、老人のばあいはおなじ距離でも負荷は日々強くなってゆく、それなのに何がなんでも3キロを走り続けるなんて、体にいいわけがない、とあった。

現職のときは毎日は走れず、休日集中で長い距離を走ったが、退職後はほぼ毎日となり、3キロどころか、7キロほどを走っているから、池田先生がおっしゃるように身体によくないのはその通りだろう。早死にしてもよいから走りたいなどとは思っていないし、健康のためだったらウォーキングに転向したほうがよい。ならばどうして走るのか。

長年の長距離走が習慣化して、依存症もしくは生活習慣病化しているというのが自己診断で、一日二日の休みはまだしも三日走らないとなると身体の調子がおかしく、それ以上に精神的にイラっとしていけない。

中国北宋時代の書家、詩人だった黄庭堅は(1045~1105)三日も本を読まなかったら、面つきも言葉遣いも悪くなるといった。(士大夫三日書を読まざれば、則ち理義胸中に交らず。 便ち覚ゆ、面目憎むべく、語言味無きを)

わたしは三日のあいだ本を読まなくても大丈夫だが、走らないのはさびしい。

『騙されない老後』を読み進めると池田先生が「なかにはハードな運動が楽しいという人もいるけど、言っちゃあ悪いが、それは一種の中毒である。苦しい思いをして走ったりしたあとに爽快な気分になるのは、エンドルフィンという脳内麻薬が出るせいである」と書いていた。どうやらわたしは エンドルフィンに侵されているらしい。数十年の長きにわたるから麻薬の量は凄いぞ。

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イギリス人作家によるスパイ小説はグレアム・グリーンジョン・ル・カレをはじめそれなりに読んできたが、このほどはじめてわが国の外事警察を描いた月村了衛『東京輪舞』(小学館)を読んだ。 砂田という外事畑の警察官のあゆみを通してロッキード事件東芝COCOM違反事件、ソ連邦崩壊、オウム事件などを取り上げた公安外事警察ものであり、 広い意味での国産スパイ小説そして出色の作品である。

砂田はヒーローとは遠く、 狂言回し的役割を担っていて、そのやるせなさ感はジョン・ル・カレを思わせてよろしい。

読み終えたあと、未見の録画ドラマ群にずばり「外事警察」があり、いよいよ見ごろと視聴に臨んだ。遅ればせながら、こうして本と映像が交わりエンターテイメントの世界が広がるのはしあわせなひとときだ。

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図書館で借りて読むつもりだった平居紀一『甘美なる誘拐 』(宝島社文庫 )を変更して購入した。五月十一日付の日経、朝日、読売朝刊に掲載した「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」という政府の新コロ対策についての意見広告にエールを送りたくて。

ワクチンについては先日高齢者用接種券が届いたが区の予約サイトを開くたびにすべての接種会場が予約不可になっていて次は何日から予約できます、なんてある。機敏に動かない人はダメということだな。政府が設ける大規模接種会場は密になりそうだから行かない。それに区が接種するファイザーのほうが国のモデルナより評判がよさそう。

いっぽう子供からのメールには、急いではいけない、副反応をよく見極めてからで遅くはないと書かれてあった。やれやれ。

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TVドラマ「外事警察」全六話をみた。二00九年にNHKが放送した作品で、録画は日本映画専門チャンネルが再放送したときのもので、よくぞ録っておいたと思える出来栄えだった。 

NHKが放送したときは在職中でTVドラマとはまったく縁がなく、タイトルさえ知らなかったから、これも退職のおかげである。

外事警察」は エスピオナージュの味付けがされた警察もので、日本にもこれほどシリアスなスパイドラマがあったんだとうれしくなった。公安警察の外事課とテロリストとの壮絶な情報戦争、騙し合いを描いた作品だが官房長官や米国の軍事産業も登場して骨格は大きい。そのうち麻生幾の原作を読んでみたい。

ソ連と向き合ってきた外事警察官の辿った人生を描いた月村了衛『東京輪舞』のおかげでこのドラマにたどり着いた。TVドラマではジョン・ル・カレのスマイリー三部作を四十年ほど前にBBCアレック・ギネス主演で製作していて、日本での放送を切望している。

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平居紀一『甘美なる誘拐』読了。誘拐、やくざ、地上げ、詐欺、胡散臭い宗教団体などダークな世界を扱いながら、読み終えてみると爽快な青春小説の香りがする。よかったなあ。誘拐ミステリーに、騙し騙されのコンゲーム小説の要素が加わり、最後に小技を効かせたどんでん返し。そうだったのかとニヤリ。

『甘美なる誘拐』の主人公は市岡真二とその相棒の草塩悠人、それぞれ二十二歳と二十三歳、ともに零細暴力団の組員見習い、阿漕な組長からは盃をもらっていない。トホホな日常が組長の企てた誘拐を機に大きく変化する。ミステリー紹介の礼儀で着地点は示せないけれど、一種の人間成長小説の趣もある。

先日みた映画「ヤクザと家族」は暴対法の影響でかつての隆盛の影もなくなった組の姿がシリアスに描かれた名作だったが、「甘美なる誘拐」も斜陽産業と化したやくざの世界を背景としている。主人公の二人はやくざの見習い、いわばやくざ未満の若者の手探りの人生が本書の魅力のひとつとなっている。

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五月二十一日、IOC国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ調整委員長が会見で「大会開催中に東京に緊急事態宣言が出されたら、開催するのか?」と問われ「その質問に対する答えはイエスだ」と発言した。「東京に緊急事態宣言が出ていようと出ていまいと、我々の対策によって安全な大会は可能だ」と述べたとの報道もあった。

これまでのところ政府はこの発言になんらコメントしていない、つまり容認している。いま日本は半植民地状態じゃないのか。

ともかくこの発言で 新型コロナ感染症がどのような状況であろうともオリンピックパラリンピックは開催されると見極めはついた。七月中旬の感染状況の予想はできないが、被害を避けるためにはどうすればよいか、感染状況によっては一時的に東京を離れる案も含めて考えておかなければならない。余計な心配増すばかり。

大田南畝『仮名世説』に荻生徂徠のエピソードがある。

 下谷の万年山祝言寺は徂徠と何かの縁があったそうで、徂徠の家に仕えていた老婆が、祝言寺の説教への参詣者は数多いのに、こちらの講義会読に来る者は少いというと徂徠先生、臭いものには多くの蝿がたかる、と語ったそうだ。そこですぐに IOC のバッハとかコーツとかの顔が浮かびこの組織の臭さを想像して辟易した。

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一回目のワクチン接種の予約がようやくできた。文京区での接種だからファイザーになる。五月二十一日に予約して、接種は七月一日。予約できてすぐに三つのことを思った。その日、気分が悪くなったりすると晩酌がヤバいのでそれはなんとしても避けたい、オリパラが強行されるとなると開会式までに二回目を済ませたいが、間に合わない可能性が高い、副反応の問題が頻発すればキャンセルしなくてはならない。

子供のころインフルエンザの予防接種をしたかどうかはわからないが成人してからは接種していない。毎年区から高齢者に向けた案内はあり、一応考えはするけれどこれまでインフルエンザに罹患したことがないので、突然異物が体内に入ってくるのが怖くて結局はパスしている。新コロ接種も嫌だな。

そうはいっても海外旅行は行きたいので接種しない選択はない。副反応のトラブルを注視しよう。

「HOKUSAI」

緊急事態宣言で営業を休止していた東京の映画館が制限つきながら六月一日から再開し、久しぶりに劇場で映画をみました。

「HOKUSAI」は葛飾北斎(1760-1849)の人生の四つのシーンを章立てとした、小説でいえば短篇連作の映画です。青壮年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じていて、どちらも優れもの、そうして絵画への情熱とあくなき追求、また絵画は時代変えることができるという信念の持主という絵師像は一気通貫しています。

映画と史実とのあいだにどれほどの隔たりがあるのかはわたしにはわかりません。けれど橋本一監督、企画とシナリオを担当した河原れんたちスタッフが北斎ならびに喜多川歌麿東洲斎写楽を世に出し、北斎の版元ともなった蔦屋重三郎阿部寛)、北斎の盟友で「偐紫田舎源氏」で名高い戯作者柳亭種彦永山瑛太)たちをどのような人物として捉え、形作りたかったかという点はよくわかりました。

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かれらは優れたクリエイターであり、北斎と蔦屋は「世間と勝負する」気骨の人また海外事情をも視野に入れた広やかな精神の持主です。また種彦は武士身分のままに戯作や随筆を著し、その不屈の意思は北斎、蔦屋の気骨に通じていました。しかしながらこれらの事情はおのずと幕府の「風紀を乱す」を盾とする文化弾圧に対峙せざるをえなくなる要因となります。こうした人物像はぶれることなく描かれていて、メッセージもしっかり伝わってきました。ちなみに奢侈逸楽は厳禁、贅沢は敵の天保の改革がはじまったのは一八三0年ですから北斎は七十歳、水野忠邦が老中職を免ぜられたのは一八四五年でした。

ただし、気骨の人、不屈の人としてぶれることなく描かれたところにいささかの気がかりがあります。というのも、永井荷風が江戸の絵師や戯作者の心情に寄せて、御政道がどうあろうと下民のあずかり知ったことではない、とやかく申すのは畏れ多いと春本や春画の製作に打ち込んでいたと述べています。それは一面で「世の中から全く隠退し得たやうな悲しいあきらめの平和」でありました。

わたしが覚えた気がかりは「HOKUSAI」の北斎の胸中にこうした心情が忍び寄ることはなかったのだろうか、もしくは自身と異なる「あきらめの平和」の絵師や戯作者をかれはどんなふうに眺めていたのだろうという疑問です。北斎の生涯にこれらのことがらを絡めると、もっと陰影に富んだ人物像となったような気がしました。 

(六月七日TOHOシネマズ日比谷)

 

 

 

「デンジャラス・ライ」

緊急事態宣言のなか、つれづれなるままに「デンジャラス・ライ」(Netflix)という聞いたことのない(もちろん見たこともね)映画をみました。デンゼル・ワシントンの「デンジャラス・ラン」じゃないですよ、念のため。

チョイスしたのは、貧困にあえぐ介護人に舞い込んだ裕福な患者の全財産、という簡単な紹介から、大好きな巻き込まれ型の物語らしいと推測できたからでした。結果をいえば正解で、マイケル・スコット監督、二0二0年の作品は昔なつかしいB級ピクチャーの匂いを濃厚に漂わせながら進行します。

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犯罪、陰謀、暴力いずれとも関わりのない素人というか堅気の人が思わぬ事情からそれらと関わることになるというのが巻き込まれ型の基本で、ここでは家計のやりくりに悩むケイティ(カミラ・メンデス)が裕福な一人住まいの高齢男性レナード(エリオット・グールド)の介護に従事するうち、彼の死に遭い、しかも彼女に邸宅を含む全財産を譲るという遺言が存在するというのです。

そこで現れたのが邸宅売却を強要する自称不動産屋、ケイティをレナードのもとに派遣した派遣会社の役員、老人の死に100%納得はしていない刑事、そうして葬儀には遺言書を携えた弁護士がやって来ます。お金持ちの男の家には犯罪がらみの秘密がありそうです。

じつはお金持ちの老人レナードはケイティの窮状を知り、彼女の夫(婚約者かな?)で大学院生のアダム(ジェシー・T・アッシャー)を庭師として雇ってあげていたのですが、彼女に大金が遺されたことから彼の行動も怪しくなります。相続税を逃れる方法を探るなど完全に彼女のカネはおれのカネ状態で、ケイティはこれまで思ってもみなかったアダムの強欲さや抜け目なさを知ることとなります。苦々しく思っていたそんな折、アダムにレナード殺害の疑惑が持ち上がります。

逃れの道を探そうとするケイティ、しかしその道は事態の解決なしに開くことはありません。巻き込まれ型の方程式をふまえながら、お宝争奪戦のテイストを加えた、煩わしさ皆無のお手軽な娯楽作品です。

新コロ漫筆~もう一度、勇気、希望、絆

東京オリンピックパラリンピック開催の意義について菅首相は「世界最大の平和の祭典であり、国民に勇気と希望を与える」、丸川珠代オリンピックパラリンピック担当大臣は「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」と語った。

オリパラに勇気、希望、絆を求めるのはよい。でもその前にわたしは政治家の職務について考える。国民を勇気づけ、希望を掲げ、絆を取り戻すのはほかならぬ政治家の仕事ではないのか、と。

望みはしないけれど、もしも戦争になったとき首相は国民を勇気づけ、希望を掲げ、しっかりした絆で結ぶ努力をしなければならない。大臣たちはそのあとに続き、補佐しなければならない。戦時に限らず危機対応においてこの課題は重要である。

新型コロナウイルスとの戦いを戦争と認識する首脳たちがいる。

イギリスのジョンソン首相は新型コロナ感染症対策を「戦争だ」といった。

フランスのマクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と訴えた。

ドイツのメルケル首相は戦争という言葉こそ用いていないが「ドイツ統一以来、いや、第二次世界大戦以来、わが国の命運がこれほど、われわれの団結にかかっている事態になったことはない」と語った。

さほどまじめに闘っているとみえなかったがトランプ前大統領も「コロナとの戦争に勝つ」といっていた。

五月二十四日に開幕した世界保健機関(WHO)年次総会ではグテーレス国連事務総長が、世界は新型コロナウイルス感染症との「戦争状態にある」と述べ、コロナ対策に必要な「武器」の不公平な分配に対し、戦時の論理をもって対処するよう呼び掛けた。

いまが戦争もしくは戦争に例えられる状態にあるとすれば、首相、五輪担当大臣は勇気、希望、絆をオリンピックパラリンピックやアスリートたちに託する前に自らが 感染症対策を通じて国民に示さなければならない。そう、勇気、希望、絆はあなた方の仕事である。それらはアスリートたちの前にまずはあなた方に求められるべきである。

ドラバタ感は否めないながらいまワクチン接種にようやく希望の光が見えてきた。勇気や絆はどうだろう。不屈の精神で感染症対策にあたっていれば、国民は勇気、希望、絆を感じるはずだ。嫌々やってちゃダメ。利権など論外である。仮定の話にはお答えできないにあぐらをかいていては先は読めず、先手の対策は望むべくもない。

ついでながら、勇気をしぼませるというか、萎えさせる残念な政治家がいるね。東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会前会長の森喜朗氏は、氏が日本ラグビーフットボール協会会長だったとき、ジャパンとのテストマッチで来日し、対戦を前に表敬訪問したオーストラリア代表ワラビーズにいった「私たちは百年やってもあなた方に勝てない」。

いくら対戦相手を讃えるにしても、これはないだろう。スポーツ界で要職を重ねてこられたお人で、スポーツに政治を絡めるのは得意だったかもしれないが、本質的にスポーツには不向きだったと思う。

永井荷風がマラソンについて語っていた!

四月十三日。東京電力福島第1原発で増え続ける処理水の処分に関し、政府は海洋放出の方針を正式決定した。二年後をめどに、残留する放射性物質トリチウムは濃度が国の基準の40分の1未満になるよう薄めて放出に着手する。無知な文系人間は疑問に思う、ニュースは濃度についてばかり報じていたが、総量はどうでもよいものなのだろうか。

いくらトリチウムの濃度は国の基準の40分の1未満になるよう薄めるといわれても物質の量はどれほどのものなのだろう。健康のため塩分はお控えなさいといわれておなじ量の塩を希釈して摂っても控えたことにはならない。濃度とおなじように総量も大事な問題なのではないか。一九七0年代だったか公害関連法案をめぐる議論でも総量規制が重要といわれていたのを覚えている。しろうとの素朴な疑問である。

政府がいうように放射性物質は薄めれば安全無害であるならば東京湾に放出しても差し支えないはずだ。戦争勃発の際は大統領や首相を最前線に立たせよというのは子供じみた議論とされるが完全否定するのは難しい。おなじく首都に設置されていない施設、設備はなにか後ろめたさをもっているというのも捨て難い議論である。

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二月二十八日、琵琶湖畔で行われた最後のレース「第七十六回びわ湖毎日マラソン」で鈴木健吾(富士通)が2時間04分56秒の男子マラソン日本新記録をマークし、初優勝を飾った。また三月十四日の名古屋ウィメンズマラソンでは、東京オリンピックの補欠に選ばれている松田瑞生選手が独走し、2時間21分51秒の好タイムで初優勝した。

東京五輪が実施できるかどうかは別にして、すでに選手と補欠選手は決定済みではあるが、せめて補欠の枠をもうひとつ増やしてあげたい気になるのは抑えがたい。

ネットで調べたところ、日本ではじめて行なわれたマラソン大会は、一九0九年(明治四十に年)三月二十一日に開催された「マラソン大競走」で、兵庫県神戸市兵庫区湊川埋立地から、大阪市の西成大橋(現淀川大橋)までの距離約32kmのコース、選手は二十名、予選会には四百八名が参加した。

わが国初のマラソン大会から十二年のちの一九二一年、めずらしく永井荷風が「偏奇館漫録」でマラソンに言及している。

曰く「裸体で大道を走るもの往時に雲助あり現代にマラソン競争者と称するものあり。メリヤスの肌衣を着すと雖両腕を覆はず猿股一つに辛くも隠部を覆ふのみ。此輩屢隊をなして昼夜を問はず市中の車道を疾走す」。

往時に雲助、現代にマラソン競争者云々は差別的言辞ではある、ただこうした嫌味、からかいを書きつけるのに漢文調擬古文は一種独特のユーモアを醸し出す。漢文の妙味というべきだろう。

ラソンの話に戻れば、荷風は、婦人の議員、官吏、兵士となるのはよしとしよう、しかしその前に「まづ体育運動も宜しく男女同様たらしむべし。即白昼堂々女子の衣を剥いで大道にマラソン競走をなさしめんか。満都の男子悉く雀躍してその後に随つて走らん」とからかった。女子のマラソンなど考えられない時代であった。

荷風先生いまあれば女子マラソンの隆盛に何という?

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服装や髪型でどのような人であるかがすぐわかる時代があった。裃、二本差し、衣冠束帯などの記号で相手との付き合い方、距離の取り方がすぐに知れる仕組みで、いじめの報道に接すると、あらかじめどんな人間かわかっていれば対応策も考える時間があるのだがとかつての仕組みを思ったりする。身分制をよしとはしないけれど。

「礼儀三百、威儀三千の世界は、たしかに、人間の平等を否定し、感情の自然な流露や直截な行動を妨げるものである。しかし、それはまた、傷つけやすく、傷つけられやすい心と心の裸の接触を、なるべく間接的なものにかえ、人なかの辛さを減らす知恵でもあった」。京極純一『文明の作法』における所説は人間関係の文明論だ。

ローマ人は、親指を負傷した男は武器をしっかり握れないものと考えて兵役を免除し、また海戦に勝利すると敗れた敵兵の親指を切断させて、戦う手段と船のオールをこぐ手段を奪ったという。いまはどうか知らないが、日本のやくざ社会では詫びと今後敵対しない担保として小指の第一関節を切る風習があると聞く。指を詰めるのもまた心と心の裸の接触をなるべく間接的なものにかえる知恵だったのかもしれない。

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千駄木界隈を散歩していると「青鞜社発祥の地」の立札があった。本郷通りを団子坂のほうに折れて左側を三四分歩いたところにあるマンションの前に立っていて、近くには森鴎外の私邸観潮楼跡(現在文京区立森鴎外記念館)もある。 

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この立札で、一九一一年(明治四十四年)に設立された女流文学者の結社またフェミニズム思想の啓蒙運動団体がこの地からスタートしたとはじめて知った。ご近所に住みながらこれまで知らず、ネットで平塚らいてうを発起人とするメンバーをみたところ錚々たる名前が並んでいてこれについても不明を愧じた。

機関紙「青鞜」を編集発行した平塚らいてう、そのあとを継いだ伊藤野枝、表紙を描いた『智恵子抄』の長沼智恵子、他にも岡本かの子、神近市子、野上弥生子長谷川時雨原阿佐緒田村俊子与謝野晶子、鴎外の妻森志げや妹小金井喜美子もいる。

永井荷風が彼女たちいわゆる「新しい女」を小説に取り上げようとしたことがある。「十日の菊」によると「新しい女」を主人公とする「黄昏」という小説を百枚ほど書いたところで断念した。主人公は米国に留学し、大学を卒業して帰国し、女流の文学者たちと交際し、文芸講演会で講演するといった女性だった。

親友の井上唖々が荷風に、あの小説は出来上がったかと問うと「いや、あの小説は駄目だ。文学なんぞやる今の新しい女はとても僕には描けない。何だか作りものみたやうな気がして、どうも人物が活躍しない」と答えている。

荷風は「厠の窓」に、 明治維新は女子が学ぶ流行をもたらし、吉原廓内にも共慣義塾という塾の出張所ができたほどで、柳橋の阿亭という芸妓は横浜へ行き英語を学んだし、北廓即ち吉原平泉楼の抱え、若緑は櫛笄を売って書籍を買い「言の葉の及ばぬ身にも分け入らん文の林のしるべある世は」とよんだといったことを紹介していて、小説に描くかどうかは別にして学問する女性にあたたかい目を向けていた。

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日本時間の四月十七日未明、訪米中の菅首相とバイデン大統領は対面ではじめての首脳会談を行い、共同声明には「台湾海峡の平和と安定の重要性」が明記された。首脳会談の共同声明で台湾に言及したのは一九六九年の佐藤首相とニクソン大統領の会談以来およそ半世紀ぶりとなる。

バイデン大統領「私たちは、自由で開かれたインド太平洋の未来を確かなものにするために、東シナ海南シナ海、そして北朝鮮などの問題で、中国からの挑戦に協力して取り組むことを約束した」

菅首相「インド太平洋地域、世界全体の平和と繁栄に中国が及ぼす影響について、真剣に議論をした」

また共同声明は、中国の新疆ウイグル自治区や香港の人権状況について「深刻な懸念」を共有するとともに、「中国との率直な対話の重要性」にも言及していて、特に「台湾海峡の平和と安定の重要性」については「両岸問題の平和的解決を促す」としている。

中華人民共和国が国連に参加したのは一九七一年、それまでは中華民国政府(台湾=国民政府)が大陸と台湾を代表する正統政府とされていて現実無視の政治的フィクションがまかり通っていた。それを正した中華人民共和国の国連参加は歓迎すべき出来事だった。

いっぽう当時の台湾の政治は国民党専制で、よい印象を持たなかったわたしは台湾の命運についてはさほど気にしていなかったと率直に認めておかなければならない。

その後、李登輝総統をリーダーとする政治改革により台湾の専制政治は終わりを告げた。そしていま民主化を期待された大陸の政治は反対にどんどん強権的になり、台湾は一層の民主化を進めた。中国の国連参加から半世紀、世界は台湾の命運を真剣に考える時期を迎えている。

中国の台湾侵攻は日本にとって坐視できない。第二次世界大戦直前に英国がナチスチェコ侵略を静観したことの教訓を思えばこの時点での明確なメッセージには納得する。

共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記したことについて識者のコメントのなかに日本はルビコン川を渡ったとの文言があった。わたしは日本国民の一人として、また左右の全体主義専制独裁政治に反対する地球の一市民として民主主義、人権という普遍的価値を尊重する国々がともに取り組むことは重要だと考えている。今回の共同声明がルビコン川を渡ったとすれば望みはしないが武力衝突は視野に入れておくべきだろう。そのための法的措置として憲法論議も必要かとは思うが、そうなるとわが国のばあい右からの全体主義の勢いが増すのは必定で、しかしわたしは自分にとって暮らしにくい世の中は真っ平御免、やれやれ。

永井荷風「毎月見聞録」を読んでいると大正六年十一月十日の記事に「両陛下の行幸啓に対する学校生徒の敬礼は従来立礼のみの定めなりしが今回文部省にて宮内省と協議の上左記の如く端座の礼を定め文部次官より各府県知事に対し夫々通牒を発したり『気を附け』の号令にて端座し『礼』の号令にて手を膝の前方の地上に置き上部を前方に屈し(約四十五度)御車に注目せしめ『直れ』の号令にて元の姿勢に復せしむ」とあった。

両陛下のお出ましに児童生徒は正座、号令で手を膝の前方に伸ばす礼式が大正の世に行われていたとは知らなかった。 端座(正座)はやさしい言い方で、これは土下座である。

困ったことにわたしはこれを過去の話と片付けられない。右からの全体主義の一環として近い将来にもありうる光景かもしれないと憂える。 

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日露戦争での日本の勝利は革命に有利な状況を生み出してくれたとレーニンは日本に感謝したが、その後継者スターリンは日ソ中立条約を破棄し、満洲へ侵攻するにあたり兵士たちに日露戦争のときの屈辱を雪げと訴えた。 

この違いを取り上げた林達夫は、日露戦争の復讐戦を説いたスターリンツァーリ専制の後継者にほかならず、レーニンを継ぐものではないと断じた。(「旅順陥落」)

いま中国では、義和団の乱の渦中にあった清朝に干渉した帝国主義列強八ヵ国すなわちオーストリア=ハンガリー帝国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ロシア、イギリス、アメリカの連合軍のことが話題を呼んでいるという。

新型コロナウイルスパンデミックについて中国の責任ばかり追求している欧米諸国とかつての八ヵ国連合軍を重ね合わせて、いまその第二幕が行われているというわけだ。そのうち習近平は、義和団の乱のとき、さらにさかのぼって日清戦争の恨みを晴らせといいだすかもしれない。どうやら習近平中国共産党も王朝体制の後継者であって孫文を継ぐものではない。

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四月二十三日、政府は新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を、東京、大阪、京都、兵庫の四都府県に発令することを決めた。期間は二十五日から五月十一日まで。

オリンピックパラリンピックは適切な感染対策を実施すれば開催可能という日本政府にお願いしたい。緊急事態宣言や時短休業要請を出す前に、オリパラを開催できるという秘蔵の感染症対策を出し惜しみせず、いまただちに実施していただきたい。特効の感染症対策はオリパラ用に取り置きしておくというのであれば、 経済を廻すため感染拡大抑制策はしないというブラジル大統領も三舎を避けるに違いない。

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天皇皇后両陛下のお出ましに児童生徒は正座、号令で手を膝の前方に伸ばす礼式が大正の世に行われていた話から察せられるように永井荷風を読んでいると歴史学の大論文からはうかがえない社会の一端が見えてくる。

たとえば 大正六年(一九一七年)に書かれた「築地がよひ」に「先生の称たるや、昔は知らず今は講釈師も先生なり、壮士役者も先生なり、活動写真の弁士も先生なり、三百代言も亦先生なり。独教育家に限らざる」という一節があり、「先生」の広がりが知られる。このころはまだ議員を「先生」と呼んではいないようだ。

大正九年の「偏奇館漫録」には「四辻の風に睾丸も縮み上る冬は正に来れり(中略)薬種屋の店先にマスク並べられて流行感冒の時節は迫れり」とあり、大正の昔からマスクを苦にせず必要に応じて利用する賢明な日本人の姿が浮かぶ。かつての日本人にありがとうと感謝とともに讃えたい。これを他国と較べて民度が高いなどというのはいやらしい。

あるいは小説「春雨の夜」(大正十一年)にある老夫婦の会話。

「この節の若い夫婦はみんな自分の好きな新しい家がいいと申しますから仕方が御在ません」

「寅雄も洋行から帰つて嫁を貰つたら矢張別に家を持つだらうな」

「それは無論さうで御在ませう。姑と一緒だなぞと申しましたら此頃では嫁に来るものは御在ますまい」

すでに大正時代にはこうした核家族化をめぐる会話が交わされていたのだった。

そういえば小津安二郎「淑女は何を忘れたか」(昭和十二年)にも山の手の高級住宅地における核家族的な雰囲気が漂っていた。