新コロ漫筆~勇気、希望、絆

東京オリンピック1964のときは中学三年生だった。日紡貝塚大松監督と東洋の魔女、体操個人女子総合金メダリストのチャスラフスカ、マラソンアベベ、円谷たちの姿はその気になればいまでも瞼に浮ぶ。教室では先生が「ソ連の重量挙げの選手たちは食パンとおなじ厚さのバターを塗って食べているそうよ」というとわたしたち生徒は「へーえ、ほんとかよ」とびっくりし、あきれていた。わたしにこれほど思い出の詰まったオリンピックはない。

五月十四日菅首相は官邸で記者会見し、東京オリンピックパラリンピック開催の意義について「世界最大の平和の祭典であり、国民に勇気と希望を与える」と語った。これに先立つ五月十一日、丸川珠代オリンピックパラリンピック担当大臣は閣議後の定例会見でオリパラ開催の意義を問われ「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」と語った。

思い出いっぱいの東京オリンピック1964だけれど菅首相のおっしゃる勇気と希望をいただいた思い出はない。絆なんて意識になかったどころか言葉さえ知らなかったかもしれない。希望は自身の人生のなかで創ってゆくもの、勇気はあげたりもらったりするものではない。競技観戦は勇気や希望のサプリメントや栄養素となっても、本質的にそれらは自身のなかから湧いてくるもの、自らが生み出すものである。

一九六四年の東京五輪では「より速く、より高く、より強く」たがいに競いあうなかで人間的にも向上してゆこうといわれていたが、だれも勇気や希望や絆のことなどいっていなかった気がする。もちろん時代には変化があり、スポーツについての意識も変わったのかもしれない。それにしても現代のアスリートたちは人々に勇気や希望をもたらすためとか、人々のあいだに絆を取り戻すためにプレーするよう期待されているとすればあまりに過剰な負荷というべきで気の毒に思えてくる。 

こうしてわたしは首相、五輪担当大臣が語るスポーツと希望、勇気、絆との関連には懐疑的である。といってもわたしはスポーツをこよなく愛し、いまも長距離走に出走し、在職中は競技団体の役員を積極的に務めたつもりだ。そしてスポーツから数多くの感動をいただいた。しかしながら希望と勇気を頂戴した覚えはない。そもそも勇気をもらったなんて日本語は昭和のある時期まではなかった。

余談ながらわたしに最大の感動をもたらしてくれたのは一九七二年一月十五日のラグビー日本選手権早稲田大学vs三菱自工京都の一戦だった。雨に湿った雪がまじり、泥濘状態の秩父宮ラグビー場のピッチで早稲田のウイング堀口選手がゴールラインを越えた伝説的な逆転トライ、そこからさほど遠くない観客席にわたしは友人といっしょにいた。凍えるほどの寒さとは裏腹に心は燃えていたが、翌日は寒さの余波で発熱があり、大学四年間で一度だけ学内の診療所に足を運んだのだった。閑話休題

あれから半世紀近くが経ったいま、菅首相のいう勇気と希望、おなじく丸川大臣の絆、これらの情緒的なことばの傍らに新型コロナ感染症のリアルがある。そのリアルについて首相側近の高橋洋一内閣官房参与はみずからのツイッターで死者数のグラフを示すとともに「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」と投稿した。

現状がさざ波か津波かはそれぞれが観察し判断すればよい。オリパラ中止をいって世界から笑われても笑われなくてもどちらでも結構だ。重症化しやすい高齢者としてのいちばんの問題は陽性か陰性の二つに一つ、 さざ波でも津波でも五割の勝負であることに変わりはない。

首相はいま「開催にあたっては、選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じた上で、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていくのが、これが開催にあたっての政府の基本的な考え方だ」としきりに繰り返している。これがほんとに可能ならだれもオリパラに反対しない。しかし多くの人々がこの発言に疑問を投げかけているのはそこに信頼するにたるデータも体系的な施策、具体策もないからにほかならない。

オリンピックパラリンピックに寄せて希望、勇気、絆をいうのであれば、政府は感染症を抑えることにおいても国民に希望、勇気、絆を示していただきたいと心から願っている。

 

新コロ漫筆〜池江璃花子選手のこと

五月十一日までだった緊急事態宣言が月末まで延長されることとなった。

すると五月十七日に予定されていたIOCバッハ会長の日本訪問が緊急事態宣言の延長を受けて延期されるとの報道があった。なんだか今回の緊急事態宣言の日切をとりあえず五月十一日としたのはバッハ会長の来日を念頭においたものだったようにみえる。

もしも会長の来日が先にセットされ、そこから逆算して緊急事態宣言の日取りが決められたとすればすでに日本は半植民地状態にあるのではないか。それが過言だとしても、新型コロナ感染症とオリンピックパラリンピックとが合体して迫ってきていているようで不気味である。

この現状をふまえ、わたしとしては、国民の命と暮らしを守るのは日本国政府であってIOCは興行団体である、IOCがやるといっているから日本もやるのではなく国民の命と健康を第一に政府が主体となって開催の可否を判断してくれるよう願う。じじつ「五輪期間中や大会後に日本で感染が拡大したら、誰が責任を取るのか?」という問いにIOCコーツ副会長は「日本政府の責任であり、程度は下がるが東京都の責任になる」と回答しているのだから。

そしてもうひとつ、感染症対策とオリパラとの関係は、あくまで感染症対策が「本」で、オリパラは「末」なのだから政府は本末転倒にならないよう望みたい。現状では「本」が安心安全とはほど遠いのに「末」は安全安心となるとは思えない。

オリパラをめぐってはさまざまな立場があり、利害は錯綜する。多くの選手が掴んだチャンスを活かしたいのはあたりまえであり、理解もする。わたしは東京在住の高齢者だから、自身の命と健康を守る観点からオリパラは危険であり、リスクは取りたくないと考えている。

だからといって有名選手を巻き添えにして代表を辞退してとかいう人たちといっしょに反対の声をあげるのはごめん被る。

競泳の池江璃花子選手にオリンピックの代表を辞退してとか、オリンピック反対の声をあげてほしいといった声が届いているという。いくらわたしがオリパラの開催に反対であっても池江さんとその人気をこうしたかたちで政治利用する人たちとは一線を画したい。

池江選手がオリンピック出場を決めた際に、オリパラ推進の立場の人たちが、病気を克服して代表の切符を獲得した池江選手を前にしてオリンピック反対などといえるか、と凄んでいた。池江選手に代表を辞退してほしいとかいう人たちと主張は真逆だが、彼女を自分たちの目的のための手段として利用しようとする点では共通している。

人気と実力のある水泳選手を持ったことが図らずも彼女を政治目的に利用しようとする人々のさもしい心性を露わにした。「他山の石」ではなく「頂門の一針」として心にとどめておこう。

余談だが人気というのは厄介なもので、ヒトラーというたいへんに人気のあった政治家はドイツ国民を煽り、人々はユダヤ人にたいする差別意識と暴力性を最大限に発揮した。最近ではトランプ前大統領への熱狂的な人気は一部支持者のホワイトハウス乱入事件につながった。もしも首相が新型コロナなどどうあろうともオリパラは絶対開催すると吼えて爆発的な人気を博したらわたしのような立場の者は生きた空もない。

 

アンクレット

新型コロナ感染症禍のなか、東京在住の高齢者はおのずと自宅で映画、TVドラマをみることが多くなり、先日もNHKBSPで放送のあった「深夜の告白」を鑑賞したことでした。

ビリー・ワイルダー監督とシナリオ担当のレイモンド・チャンドラーが組んだノワール好きには堪らない作品は四、五回みていて、ここではすこしトリヴィアな話をしてみます。

ロサンゼルスの保険会社に勤務するウォルター・ネフ(フレッド・マクマレイ)は、顧客の実業家の自宅で、美貌の後妻フィリス・ディートリクスン(バーバラ・スタンウィック)に出会い、やがて誘惑されて不倫の関係に陥り、保険金目的での夫殺しに荷担してしまいます。

フィリスは演じたバーバラ・スタンウィックが「ファンがわたしとフィリスを混同し、もうわたしを好きでなくなるんじゃないかと、心配だったの」と憂慮したほど稀代の悪女でした。

最初に登場するシーンで、彼女はアンクレットを光らせて階段を下りてきます。アンクレットは魔性の女のシンボルとなっていて、ネフはその姿に魅了されます。はじめてこの映画をみたのは四十年ほど前だったでしょうか、ネフとおなじくわたしも美脚とアンクレットに参りました。

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バーバラ・スタンウィックの衣装デザインを担当したのはイデス・ヘッドで、のちに「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」のオードリー・ヘプバーン、「裏窓」のグレース・ケリーを担当したことでも知られています。そうして「深夜の告白」について「服はあまり目立ってはいけないし、安っぽすぎてもいけないんだけど、バーバラ・スタンウィックの身体の線を見せなくちゃならないの。彼女の脚はとてもきれいだった。誰の脚もーディートリッヒの脚でさえーあんなにきれいじゃないわ。(中略)スタンウィックはそんなに背が高くないのに、身体の割に脚が長くて、しかも形がきれいなの。どうすればその脚が引き立つか知っていたから、彼女は実際よりずっと脚が長いようなイメージを作りあげていたわ」と語っています。(シャーロット・チャンドラー、古賀弥生訳『ビリー・ワイルダー 生涯と作品』アルファ・ベータ)

つまりはアンクレットにうってつけの女優なのでした。

いっぽうビリー・ワイルダーキャメロン・クロウとの対話『ワイルダーならどうする?』(宮本高晴訳キネマ旬報社)で「スタンウィックは頭の切れる女優だった。彼女のもちこんだあのカツラのことは質してみたが、あの女性にぴったりだった。ひと目でわかるいかにものカツラだからだ。それに、あのアンクレットーあの種の男と結婚する女がつけていそうな装身具だ。殺しに飢えているさまがありありだ」と述べています。

こうしてバーバラ・スタンウィックのアンクレットは美脚にアクセントを添えるとともに魅惑の悪女の装身具というイメージを鮮烈なものとしたのでした。

ビリー・ワイルダー監督はフィルム・ノワールとは対照的なロマンティック・コメディ「昼下がりの情事」でもアンクレットを用いており、ここではコンセルヴァトワール(フランス国立高等音楽院)でチェロを学ぶ純情な娘アリアーヌ・シャヴァス(オードリー・ヘプバーン)が年長のプレイボーイのフランク・フラナガンゲーリー・クーパー)に、自分を大人の女にみせたくて、持っていたチェロのケースに付いているチェーンをアンクレットに仕立てたのでした。

この映画でオードリー・ヘプバーンの衣装を担当したのはイデス・ヘッドではなくユベール・ド・ジバンシィでしたから、アンクレットへのこだわりは監督のものだったと思われます。察するに、アンクレットについてふつうの貞淑な女なら身につけることのない、特別にセクシーなアクセサリーという牢固とした観念を抱いていたのではないでしょうか。ビリー・ワイルダーはアンクレットがお好き、なのでした。

なお「深夜の告白」の原作はジェームズ・M・ケインの『倍額保険』で、まだ映画の題名すら知らないころ、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に魅せられておなじ作者の作品を新潮文庫の目録で調べるともう一作『倍額保険』が載っていて、一気読みしたことでした。

新潮文庫さんにはぜひ復刊をお願いしたい。

 

 

 

 


 

新コロ漫筆〜狂歌をよむ

永井荷風大田南畝について書いた随筆や論稿を読んでいるうち、荷風経由ではなく直截南畝を読んでみたくなり、 いま『大田南畝全集』の狂歌の巻を読んでいる。素人なので自己流の解釈は避けられず、それに気がかりな新型コロナウイルスに引きつけて読んだりもしている。

 

「はやり風引こもりたる車留御用の外の人は通さず」

「車留」の前書がある。車留は、車の通行を差し止めること、また、車が進入しないように設けたものやその場所をいう。登城や奉行所への出入りは特別な御用の人だけでそれ以外は通さない、昔から感染症対策の基本は密を避け、人の流れを少なくすることにあったことが知れる。

南畝の時代になかったのが空港という車留で、ここでも「御用の外の人は通さず」という原理原則が重要なのは変わりなく、わが国は台湾やニュージーランドと比較して、初手でまずい手を打った。空港という車留に海外からの客を通して、迎えた出入国管理 、水際対策が悔やまれる。おもてなしの精神にもアクセルとブレーキは必要なのに。

 

「ながき日に親のいさめのうたたねも老いらくの身のさもあらばあれ」

緊急事態宣言のもと外出自粛生活の指針とするに足る狂歌ですな。わたしのような下流年金生活者はスリリングなテレビドラマをみて、面白本を読みふけり、ときにうたた寝するがいちばん。

「用あるともはやくおきる事なかれ。ひまありとも出る事なかれ」

説明や狂歌はなく、どうしたときの感想かはわからないのだが、引きこもりもまたたのしい気分です。

 

「都から三国一の客が来てけふもふるまいあすもふるまい」

四月二十三日、政府は新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を、東京、大阪、京都、兵庫の四都府県に発出することを決め、期間を四月二十五日から五月十一日までとした。

三度にわたる宣言で、一回目は効果はあったが、二回目は拙速な解除のためかさほどのことはなく、三回目は二回目のマイナス効果に追い込まれた感が強い。 

このかん、どのような呼びかけがなされたかを「『福祉のよろずや』ぽれぽーれ」という方がまとめたツイートがあり、即座に「いいね」をさせていただいた。

「何度繰り返すの?」という前書のあとに続けて

2020年

3月「この1ヶ月が勝負」

4月「緊急事態宣言」

5月「GWも自粛」

7月「この夏は特別な夏」

8月「夏休みも自粛」

9月「この連休がヤマ」

11月「我慢の三連休」

12月「真剣勝負の三週間」

2021年

1月「また緊急事態」

2月「延長」

3月「さらに延長」

4月「またまた緊急事態宣言」とある。

年がら年中、閉店セールで安売りを叫んでいるみたい。これではエライさんの呼びかけも、またか、となるのはやむをえない。

こうしたなか菅首相、二階幹事長はじめ一部の議員諸公や高級官僚のみなさんが会食に興じておられたのはご存知の通りで 、なかには「けふもふるまいあすもふるまい」の方もいらっしゃったのではと推し測った。

この一年、わたしは「ふるまい」こそしなかったものの、これまで以上にお酒が旨く、愛おしくなった。外出自粛がよくもわるくもお酒の楽しみを増やしてくれて、 一日置きの晩酌が待ち遠しくてたまらない。

今回の緊急事態宣言を前に子供たちから、念のためトイレットペーパーやティッシュをちょっとだけ買い増しておいたらとメールがあり、わが家はもうひとつお酒もちょっと多めに準備しておこうと勝手に解釈して、ちょっと多めのしあわせな気分になった。

「ふくと寿の二ツに事はたる酒の天の美禄も其中にあり」

 

「新コロにため息ついて宣言をむすんでといてといてむすんで」

南畝先生の作品のあとに自作の狂歌を載せるなんて天に唾を吐くおこないとは知りながら、やむなく、繰り返される緊急事態宣言を思いながらよんだ歌をしるした。狂歌をよむ人が少しでも増えるのはよいと南畝先生が思ってくださるのを願うばかりだ。

繰り返される緊急事態宣言、結んでは解き、解いては結んで三度目である。これでオリンピックパラリンピックは開催できるのかしらと懸念するが、政府は感染症対策をしっかりすればできるという。

森友学園加計学園桜を見る会などの疑惑に百十八回の虚偽答弁(衆議院調査局)を重ねた首相を支えた官房長官だった方がいま首相となってそうおっしゃってもにわかには信じがたいけれど、ま、そういうことなのだろう。

そんなことよりもわたしは首相が協助、公助以上に強調し、推奨する自助を大切にしよう。手洗い、うがい、マスクなど自助を第一として感染症防止に努めながらワクチンを待っている。忍の一字に海路の日和である。

 

『大田南畝全集』

東日本大震災直後の三月末を以て定年退職したから、この四月から十一年目の年金生活に入った。わたしは六十歳定年だったが、このかん六十五歳定年が普及し、今年度からは労働者が希望すれば七十歳まで働くことができる「高年齢者雇用安定法」の改正法が施行されることとなった。隠居志向の強い者に六十歳定年はさいわいだった。

ときに、毎日何してるんですか、どうやって時間を潰しているんですかとか訊かれたりするけれど、毎日為すこともなく欠伸のみして日を送ることができるのをありがたいと思っているから何ほどのことはない。それと昔ふうに申せば、酒色のふたつも財なくてはその楽しみは得がたいとはいえ、わたしは財の許す範囲で楽しんでいればよいタイプなので老いらくの身をなんとかやりくりできている。

退職していちばん変わったのはテレビの視聴で、現職時はニュースとスポーツ番組(ほとんどラグビー)だけで、バラエティ番組やドラマは時間が惜しくてパスしていたが、退職してからはドラマが加わった。

さらに新型コロナウイルス感染防止のための外出自粛により、口福の楽しみの比重が高まり、お酒がますます好きになった。

「福禄寿 ふくと寿の二ツに事はたる酒の天の美禄も其中にあり」(大田南畝)。

          □

「金というものの唯一の欠点は、使うとなくなってしまうということである。これは実際、困ったものであって、使うとなくなるからというので使わずにいれば、なんのために金を持っているのかわからない。」吉田健一「金銭について」より。

金についての箴言集が編まれるときはぜひとも収録していただきたい。

使うとなくなってしまうという金の欠点ではあるが、手放さないことにはしかるべき満足は得られない。古今亭志ん朝さんがよくまくらで、ちかごろは一万円札をくずしてしまうとたちまちなくなってしまいます、そこで、くずすのをなるたけ遅くする、遅らせる、これしかございませんナと語っていた。欲しいものは買いたい、一万円札はくずしたくない、まったくもってやれやれですナ。

吉田健一はまた、死ぬ思いをしてやっとためた金を残して死ぬのはあまり気がきいたことではない、貯金はこれと定めた目的のためであり、ならば先に借金をして目的を果たし、あとで返してゆけばよいと述べている。この説は昭和三十年代は冗談と思われていたかもしれないが、いま読むとカード社会の到来を予見している。

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大田南畝(一七四九年~一八二三年)は古稀を過ぎても行楽と読書は衰えることなく意のままに楽しんでいた。

七十を超えてなお人から本を借りて手写するのをたのしみとしており、また桜の季節になると花を見て廻った。その著「壬申掌記」には上野、泉松山、伝通院、白山、駒込、大久保、堀の内、山谷、本所といったところがしるされている。

わたしも例年とおなじく上野、白山、駒込などで桜をみたけれど、南畝が

「伝通院に花見にまかりて 花にゑふ去年の春より今年までのみつる酒もはかりなき山 山を無量山といへばなり」

とよんでいるのを知り、この日はジョギングコースを変更して伝通院へ向かった。

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弥生坂を上がって本郷へ、そこから春日へと下り、小石川の善光寺坂を上がると伝通院に着く。そうして伝通院と澤蔵司稲荷(慈眼院 )では桜を、善光寺では椿を拝見させていただいた。

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帰宅してシャワーと朝食のあと録画してあったNHKドラマ「蝉しぐれ」をみた。牧文四郎を内野聖陽、お福を水野真紀が演じていて、ラストのあの名セリフではまたしても泪だった。藤沢周平原作の映画、テレビドラマは見逃さないようにしているが、「蝉しぐれ」は二00三年の放送で、当時は在職中だったからテレビドラマ化されていることすら知らなかった。

蝉しぐれ」であらためて藤沢周平を読みたいと思い、電子本の全集を探してみたが集成されておらず、そうだ、よい機会だから山本周五郎を読んでみようという気になり電子本で『山本周五郎作品集』(一)を求めた。「あだこ」「晩秋」「おたふく」所収。価格は九十九円、著作権が切れているから格安で読めるのがありがたい。

山本周五郎はまったくといってよいほどご縁のない作家だったが、開高健が激賞していて気になる作家ではあった。しかし藤沢周平に惹かれていたから先輩格の山周までは手が回らなかった。それがドラマ「蝉しぐれ」から急旋回して、まずはネットで評判の高かった短篇「おたふく」を読んでみたところ、「蝉しぐれ」とおなじく胸が熱くなり目が潤んでしまった。

そのうえで気がかりなことを書いておかなければならない。

山本周五郎作品集』は株式会社オリオンブックスというところから発行されていて、奥付に「読みやすくするため現代の言葉に近づけていますが、作品の性質上、そのままの表現を使用している場合があります」と不気味なことが書かれてある。歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直したとかルビを増やしたくらいならともかく、いくら安価でもとんでもないテキストを読まされたのではたまったものではない。

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いつ買ったのかの記憶もなくそのままにしてあったDVD「恋の情報網」を鑑賞。ジンジャー・ロジャースケーリー・グラントが共演しためずらしい作品をどうして放っておいたのだろう。ヒトラーの実写フィルムが挿入されるなど一九四二年という時局柄反ナチを鮮明にしたロマンティック・コメディだった。

監督は「逢いびき」や「我が道を往く」で知られるレオ・マッケリー。この人の作品ではいまだに「明日は来たらず」と「人生は四十二から」をみる機会に恵まれないのが残念でならない。

「明日は来たらず」は「東京物語」の発想の素になった映画としてつとに知られているが、以前読んだ貴田庄『小津安二郎と「東京物語」』によれば、野田高悟は本作をみていて、かすかな記憶を語っている。いっぽう小津がこれをみたとは考えられないことが実証されていた。

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大田南畝の晩年について永井荷風は「葷斎漫筆」に「南畝其の齢古稀を過るも行楽読書二つながら能く思いのままに之をなし得たるは、精力絶倫の致すところにあらずして何ぞや」と書いた。ここにも読書と散歩を喜びとする人がいてうれしい!

寛政十年南畝年五十。

「五十になりけるとし、うちいでてまたいくはるかこゆるきの五十路にかへる浪のはつ花」

「竹の葉の肴に松のはしたてむ鶴の吸物かめのなべ焼」。

よい機会だから南畝のおめでたい狂歌荷風による「大田南畝年譜」から拾ってみた。

「時鳥なきつるかたみ初鰹春と夏との入相の鐘」

「生きすぎて七十五年喰ひつぶしかぎりしられぬ天地の恩」

「お出にはおよはぬものを老らくの春は来にけり春は来にけり」

「あら玉のとしも六十三番叟とうとうたらりたらりながいき」

こうして荷風を通して南畝に接しているが、それだけではおさまらず、じかに南畝に接してみたい心のたかぶりを感じている。いかん、いかん、下流年金生活者という立場をわきまえて購書は自重、自重。

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原作と映像作品によるアガサ・クリスティ攻略作戦、今回は先日NHKBSPで放送された「名探偵ポアロ」の「アクロイド殺人事件」。テレビドラマのおかげで四十数年ぶりに再読した。もう一度読んでみたいと思いながら絶対に犯人もトリックも忘れない作品だから手に取るのが延び延びになってしまった。

わたしの攻略作戦の参謀は霜月蒼『アガサ・クリスティ完全攻略』で、霜月氏は「本作をすでにお読みのあなたも、もう一度読み直すといい。トリックを知っているからいいや、とお思いのかたには、ミステリの価値はトリックだけにあるわけではなく、演出が物を言うことを示す最良の例として、本作を再読すべしと申し上げよう。読み直すときっと、あの真相につながる伏線や手がかりがあちこちに仕込まれていることに驚くはずだ」と述べている。

二十代で読んだときは早く犯人を知りたくて、空腹でメシをガツガツ喰らうような読み方だったから味読にはほど遠かったが、 再読して、伏線の張り方、手がかりの散りばめ方、噂好きな村の女性たちが醸し出すユーモアなど、作者の「演出」の見事さを堪能した。

なおTVドラマの改変には大いに不満だった。

          □

天明三年、大田南畝三十五、父正智六十八、母利世六十。

母の六十の賀宴での南畝の一首。

「松かげにならべる尉と姥ざくらともに老木の花のさかもり」

いいなあ、心がうきうきして華やいでくる

大田南畝全集』全二十巻、別巻一(岩波書店)。古書店で買えない値段ではない、本棚をやりくりすれば架蔵できないこともない、しかしどれほど理解できるか、つまりは低学力の問題がある。貧乏と高齢ゆえに、購書は一切断念くらいの気持でいるけれど、永井荷風に刺激されて大田南畝を読んでみたい気持の止みがたく、それに過日は白山の本念寺で南畝のお墓参りをしたこともあり、心乱れた末に南畝全集を買ってしまった。漢文記述の書は無理だろう、せめて狂歌、随筆の理解を図りたいと願っている。

全集第一巻に収める狂歌を少し読んだところニヤリとしたり、しみじみしたり。

「くれ竹の世の人なみに松立ててやぶれ障子に春は来にけり」

「吉原の夜見せをはるの夕ぐれは入相の鐘に花やさくらん

さらにスカトロジーに男色!

「七へ八へへをこき井出の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ」

「男色の心をよみ侍ける 女郎花なまめきたてる前よりもうしろめたしやふじばかま腰」

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美空ひばりが歌う「三百六十五夜」を知ったのはたしか小学六年のときで、わたしはひばりの大ファンだった(いまもそう)ので、しっかり歌えるよう記憶した。この曲が同名映画の主題歌で、霧島昇と松原操がデュエットしたオリジナルがあると知ったのはだいぶん後のことだった。作詞西條八十、作曲古賀政男

その映画「三百六十五夜」がNetflixで配信されていてさっそく鑑賞した。東京篇、大阪篇の二部作百五十分余を二時間弱に縮約した総集篇ではあるが、長年の宿題をようやく済ませた気分になった。

上原謙、山根寿子、高峰秀子など豪華キャスト、監督は市川崑、一九四八年新東宝。恋の混戦と偶然が重なるメロドラマにして歌謡映画、二葉あき子が歌手として出演し「恋の曼珠沙華」をうたい、ほかにも「別れても」「港の見える丘」の名曲が流れていた。

映画は一九六二年に美空ひばり主演でリメイクされていて、こちらも機会があればぜひみてみたい。ところでわたしが歌っていたひばりヴァージョンとオリジナルとでは二番の歌詞に異同があり、オリジナルの「我ゆえ歩む道頓堀の水の夕陽が悲しかろ」がひばりヴァージョンでは「我ゆえ歩む箱根の峠水の夕陽が悲しかろ」となっている。映画に合わせての改変で、西條八十先生がひばりのためにお許しくださったのだろう。

          □

四月十日。10キロマラソンレース(ヴァーチャル)に出走。結果は440/1012、56:58。七十歳になってからの10キロ走ではいちばんよい成績だった。晩酌のビールがおいしくて、おいしくて。さりながら明後日十二日からは東京にも蔓延防止等重点措置が適用される。走ることで救われている老爺だ。

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明日結婚式を挙げる京子(久慈あさみ)が幼なじみの誠一(池部良)を誘って独身最後の一夜をいっしょに過ごす。喫茶店や映画館、スケート、ダンスホールに足を運ぶうちに女は挙式について心に影の領域があるのを認め、男は愛していたけれど、その気持ちをどうしても告白できないまま彼女を見送るほろ苦さを舐める。

男が結婚を口にすれば、女は応じただろう、戦前の名作「暖流」のように女から告白したって結ばれたはずなのにそうはできなかった。その意味では英文法でいう仮定法過去の恋の物語で、そこに哀切と後悔、自分ではない相手と結ばれることになる人のしあわせを願う心情が漂う。

昭和二十六年、市川崑監督作品。おおっぴらに愛を語り合いにくかった戦前の心模様がまだ色濃く残る頃の、中流の若い男女の淡く美しい一夜の恋物語。わたしには愛おしい珠玉の小品である。

森繁久彌ダンスホールのマネージャーというチョイ役で出演していて、のちに久慈あさみ東宝の社長シリーズで森繁社長夫人としてレギュラー出演していたのを思えば、彼女の結婚相手は若き日の森繁社員だったとおぼしく、それゆえ「恋人」はこのあと一流企業の社長夫人、裕福で安定した家庭の主婦に納まった京子の心揺れた一夜を描いた作品と想像される。若き日の市川崑監督の三作品「三百六十五夜」「恋人」「夜来香」を配信してくれたNetflixに感謝。

なお、本ブログでは「恋人」について以前にも話題にしていますのでよければ参照してみてください。

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20110810/1312937334

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「さく花のちれる木末に夕風のそよぐも春の名残ならまし」

いまの季節にぴったりの大田南畝の歌でよい気分になり、さらに読み進めると元気になった。

烏亭焉馬翁みちのくにゆくとききて みちのくの五十四郡に此翁七十六で思ひたつ旅」

「男舌を出して女の口を吸はんとするかた、蜜蜂の舌を出してたをやめの花の唇すはんとぞ思ふ」

『万載狂歌集』所収の南畝の賀歌

「あいた口戸ざさぬ御世のめでたさをおほめ申もはばかりの関」

無粋は承知ながら文春の記事にたいする五輪当局の、芸能人のコメントへの東京都の対応を憂ひ、香港やミャンマーの人々への弾圧を思ひてよめる

「心開き口は戸ざさじ夢むすぶ遥か大地に花を望みて」

 

 

 

 

 

 

 

新コロ漫筆〜オリパラの夢

三代目桂三木助が得意とした噺のひとつに「三井の大黒」があった。

左甚五郎に大黒様を彫ってもらった三井家の使いが、「まえには阿波の雲慶先生に恵比寿様を彫っていただき、『商いは濡れ手であわのひとつかみ』という句をいただきました。つきましては先生の大黒様にも下の句をつけていただけませんでしょうか」とお願いしたところ甚五郎は「どれどれ、面白くはないが一つつけさせていただこう」といってすらすらと「守らせたまえ二つかみたち」と下の句をつけた。

恵比寿に大黒のふたつ神、濡れ手であわのふた掴みの大儲けはまことにめでたい。

反対にペアとするによくないものもあって、すぐには食べ合わせが悪いとされる鰻と梅干とか蕎麦と田螺、心太と生玉子などが浮かぶ。ネットには蛸と黒鯛は血を荒すがゆえに女子には禁物なんてあった。

いま現在世界最悪の組み合わせは新型コロナウイルスとオリンピック・パラリンピック、しかも舞台は日本なのだからやりきれない。

さいしょ日本政府はオリパラを福島復興の証としていたが、昨年には人類がコロナに打ち勝った記念となり、それも難しいとみるや、先日の日米首脳会談を機に世界の団結の象徴というようになった。

七月に開催の運びとなるかどうか予断を許さない現状だが、完全なオリパラという夢を追うと感染拡大の危険は避けられず、すでに海外からの観客を閉め出すことが決定され、完全な開催はあきらめなければならなくなった。

島国という括りで感染症対策をみると、台湾、ニュージーランド、オーストラリアと比較して日本はずいぶん遅れをとった。イギリスはひどい状態だったが最近では新規感染者数は日本を下回っている。三度目の緊急事態宣言に直面するいま(四月二十日)、おなじ島国としてとくに台湾、NZに学ばなかったのが惜しまれる。悔やんでも遅いけれど最も早い段階で両国に習って水際対策、出入国管理をしっかりしておけばだいぶん様相は違ったと考えざるをえない。

それとともに、この一年あまり世界各国の政府が、新型コロナ対策というおなじテーマに取り組むことで、日本の政治、日本の姿がよく見えてきた。 気付かされた三点をあげると意外と脆弱な医療体制、ネット社会の構築の遅れ、マスクと手洗しっかりの国民の努力となる。いっぽうマスクに反対して暴動まがいの事象が起こる米国の姿はわたしには思いもよらないものだった。

経済を廻すため感染拡大抑制策はしないというブラジルの大統領のような政治家がいるのにもびっくりした。しかしいま緊急事態宣言というおなじことの繰返しよりも、この人に学ぶのもよいかもしれないと心の片隅で思っていて、もういくぶんやけ気味である。その処方は、感染症対策は「自助」を第一として「共助」「公助」は二の次、緊急事態宣言は発出しない、したがって休業補償などの必要はなし、オリンピックはやる、そのうち待てば海路のなんとやらでワクチンが来ます、というもの。

夢のようなふたつかみの歌ではじめたから終わりも夢の歌で締めます。

 請御笑覧。

オリパラと夢を喰ふ貘なるものを思ひて

夢に見し一二三四五輪の輪かぢるコロナを貘が追つかけ

これやこの五輪が結ぶ千金に夢の浮橋貘も渡るか

うれしさを袖やたもとにつつむかな千両箱に夢の前借り

 

三ノ輪と雑司ヶ谷にて

昨秋古稀を迎えたのを機に『荷風全集』の再読にとりかかり、併せて荷風ゆかりの地や作品の舞台となった地を訪れている。

先日は三ノ輪の浄閑寺にある荷風の筆塚に詣で、傍にある花又花酔の川柳「生まれては苦界、死んでは浄閑寺」を刻し、吉原の女郎さんを祀った新吉原総霊塔を弔ったあと、都電荒川線雑司ヶ谷に向かった。

荷風雑司ヶ谷霊園に葬られていて、父永井久一郎の墓の並びにある。

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いっぽう彼には、安政の大地震で無縁仏となった吉原の娼妓たちの遺骸が投げ込まれた投込寺の異名のある三ノ輪の浄閑寺に眠りたい思いもあった。

「今日の朝三十年ぶりにて浄閑寺を訪ひし時ほど心嬉しき事はなかりき(中略)余死するの時、後人もし余が墓など建てむと思はば、この浄閑寺の塋域娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ。石の高さ五尺を超ゆるべからず、名は荷風散人墓の五字を以て足れりとすべし」

これは『断腸亭日乗』昭和十二年六月二十二日の記事で、ここからおよそ三十年前に訪れたときのことについては「里の今昔」(昭和十年)に触れられている。

「明治三十一二年の頃、わたくしが掃墓に赴いた時には、堂宇は朽廃し墓地も荒れ果ててゐた。この寺はむかしから遊女の病死したもの、又は情死して引取手のないものを葬る処で、安政二年の震災に死した遊女の供養塔が目に立つばかり、其他の石はみな小さく蔦かつらに蔽はれてゐた」

後出の岩野喜久代によると、荷風が訪ねたこの時期は浄閑寺がいちばん寂れていたころだった。

昭和三十四年(一九五九年)四月三十日に荷風が歿したあと、荷風浄閑寺への思いを汲んだ人たちにより筆塚と「今の世のわかき人々/われにな問ひそ/今の世とまた来る時代の芸術を/われは明治の児ならずや/その文化歴史となりて葬られし時/わが青春の夢もまた消えにけり」ではじまる「震災」(『偏奇館吟草』所収)を刻んだ石碑が建てられた。

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岩野喜久代『大正・三輪浄閑寺』(青蛙房)『岩野喜久代随想集 永井荷風浄閑寺 與謝野晶子と荻窪のサロン』(大東出版社)によるとスェーデン産赤御影石の花畳型筆塚には故人の二枚の歯と常用していた平安堂山製白圭の銘の小筆が納められている。これらを建碑実行委員会に寄贈したのは荷風の養子、永井永光氏で、歯は前歯一本と金冠を被せた左方大臼歯一本で荷風の巻煙草ケースのなかに収めてあるのを氏が偶然発見したとのことだ。

また新吉原総霊塔は昭和三十八年十一月に建立されていて、新吉原は明暦の大火(振袖火事)のあと幕府の大規模な区画整理により、日本橋葭町にあった公認遊廓を浅草田圃に移したことからきた名称である。

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岩野喜久代前掲書によると、総霊塔には安政の大地震で犠牲となった娼妓のほかに新吉原創業から売春防止法による廃業までの間に病気になり、衰え果てた末に誰にも看取られることなく亡くなった娼妓たち、また彼女たちの子、遣手婆などを含め一万五千人が葬られており、ほかに関東大震災の吉原花園池における横死者や下町被災者の無縁仏も納められている。ただし遊郭の楼主とその家族は別で、かれらの檀那寺は寛永寺や青松寺などの大寺で、投込寺には目もくれなかった。 

岩野喜久代(明治三十六年一月三日~平成八年三月七日、享年九十三)は歌人、エッセイストで、大正十四年浄閑寺第二十四世岩野真雄と結婚した方である。彼女によると明治以前の過去帳から遊女の本名年齢生国親元を探るのは不可能で、幕府はすべての寺に人別制度の事務を負わせたが遊女は身を売ると同時に戸籍簿からはずされ、記載されているのは法名と死んだ年月日、源氏名もなく何屋売女、女郎、遊女の文字だけとのことだ。

投込寺の呼び名には哀切の情が込められている。

三ノ輪から雑司ヶ谷に向かう都電荒川線で一句

「脚癒やす電車のなかの老いの春」

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