七十歳になった

小沼丹木槿」に「何でもこんな寝苦しい暑い夜のことを、熱帯夜とか云ふのださうである。一體、いつからそんな名前が出来たのか知らない。聞いただけでうんざりする。昔はそんな呼名はなかつたと思ふ」とあった。「群像」昭和五十二年十月号に発表されているからこのころには「熱帯夜」という言葉はだいぶん知られていたとわかる。

熱帯夜は気象エッセイスト倉嶋厚氏による造語で、 新聞、放送などは気象庁の統計「1日(0時1分から24時まで)の最低気温が摂氏25度以上の日」を熱帯夜としている。これに加え二00七年から一日の最高気温が35度以上の日を「猛暑日」と呼ぶようになった。

もうひとつ関連する言葉に熱中症がある。一九五0年生まれのわたしは、子供のとき脱水症と熱射病は知っていたが、熱中症は知らなかった、というか言葉としてまだなかったか普及していなかったのではないか。ネットには熱中症の起こる原因や対処の仕方は事細かく述べてくれているが、この言葉がいつから広く用いられるようになったかを教えてくれる記事は見つからなかった。

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「寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす」「同宿三人、みんな同行だ、みんな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、わたしも一本のむ、それでほろほろとろとろ天下太平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない」( 山頭火日記、昭和五年十一月十二日)

濱口雄幸首相が東京駅で銃撃されたのは上の記事が書かれた翌々日の十四日だった。首相は即刻入院し、翌年一月に退院したが政友会の鳩山一郎らの執拗な登壇要求に押され、三月十日無理をして衆議院に姿を見せ、翌十一日には貴族院に出席した。それでも野党側からの議場登壇要求は止まず、三月十八日衆議院で登壇したものの声はかすれ傍目にも容態は思わしくなく四月四日再入院し、十三日に辞任した。退院後は療養に努めたが八月二十六日死去した。享年六十二。

安倍首相の病気辞任から思い出された歴史のひとこまで、銃撃を受け退院した直後の首相にしつこく登壇を求める野党の議員たちの行動は日本政治史の汚点としなければならない。そしてわたしは晩酌をしながらほろほろとろとろ天下太平、家内安全を願っている。

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九月十二日。ヴァーチャルマラソン10Kmを走った。六時から十二時のあいだに各自が定めたコースを走り、GPS付アプリで計測して、それを主催者が集計、公表するもので、結果は0:56:20、287/769、そしてこれがわたしの六十代最後のレースとなった。

できれば記念にフルマラソンを走りたかったのだが、早く日本で、世界で通常の大会が開催できるよう願うほかない。

昨年の東京マラソンからあとフルマラソンは走れておらず、うろうろしているうちに完走がおぼつかなくなる不安はあるが、それよりもこの歳になって長距離走を楽しんでいる幸せを噛みしめたい。何歳までは走りたいといった目標はなく、これからもおなじく行けるところまで!

次回は七十歳初出走だ。

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朝の寝床で山頭火の日記を読んでいると「くちなしの花を活ける、花の色も香も好きである、野の貴公子といつた感じがある」「何だかなつかしうなるくちなしさいて」(昭和七年七月六日)とあり、すぐにiPadでこの八月十日に七十八歳で亡くなった渡哲也さんの「くちなしの花」をYouTubeで聴き、今宵は晩酌しながら口ずさんでみようと決心した(なんて大げさですけど)。

くちなしの花言葉は「とても幸せです」「喜びを運ぶ」「洗練」「優雅」だから病弱の恋人をなぐさめ、いたわる日本の歌謡曲のイメージとはずいぶん違っている。 「とても幸せです」は、アメリカで女性をダンスパーティーに誘うときにくちなしの花を贈ることから、誘われた女性の気持ちを表しているわけだ。 「喜びを運ぶ」はくちなしの花がよい香りを放つことに由来している。

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AXN海外ドラマ専門チャンネルが放送する「CSI:科学捜査班」を見終えた。といっても全篇見たのはシーズン1~5で、あと6~15は最初と最後の数回と締めくくりのテレビ映画で、すべてを録画するとハードディスクがパンクしてしまうから、どこかの国の巨大広告代理店じゃないが中抜きとなった。

米国ではこのドラマの人気で鑑識捜査員の希望者が増加し、鑑識セクションの重要度を高めるため警察の組織改編を行った州もあったそうだ。ドラマが科学捜査に影響をおよぼしたのだから大したものだ。一話四十五分の読み切り短篇の趣で、最終のテレビ映画は歳月の流れを描いて大河ドラマの感もあった。各シーズンとも面白く見たがオリジナルのメンバーがばらけるころから少し落ちたかな。

優れもののなかでもとりわけ光っていたのが シーズン5の「CSI:24時間の死闘」前後編だった。ふつうは一話完結なので特別扱いだなとスタッフをみているとクエンティン・タランティーノがストーリーを提供し、監督も務めていた。

タランティーノの映画はすべて見ているがテレビドラマまでは手が回らなかった、というか意識になかったのでうれしい拾い物だった。調べてみると彼のテレビ作品では「フォールームス」と「ER緊急救命室」 シーズン1の一話を見ていた。

ここで気に入ったせりふをひとつ。

交通事故で片脚を切断したため、義足をつけている優秀な検死医アル・ロビンスが、鑑識チームを率いるなか服役囚の暴行で片方の腎臓を失ったレイモンド・ラングストンに言う。「自分の思いどおりに生きられると考えていてもどうにもならないことが人生には必ずある。それを受け入れれば前に進める」。

つぎにはスピンオフの「CSI:マイアミ」が控えていて、舞台はラスベガスからマイアミに移る。

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十月一日。ジョギングは朝をもっぱらにしているが今朝は小雨だったので夕刻に走ったところ満月と東京スカイツリー不忍池の三点セットが見られた。タイム、距離はGPS付きのウォッチで計測していてスマホは持たずに走っているのだがこの三位一体は写真に撮っておきたくて走って家に引っ返しスマホを提げて不忍池に戻り撮影した。

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帰宅して晩酌のあとNHKBS1が放送したフランス製作のドキュメンタリー番組「さまよえるWHOー米中対立激化の裏側ー」を見た。テドロス事務局長はやはり胡散臭い人物だ。エチオピア独裁政権のもと政敵を迫害し、その死にも関わり、感染症を公認すると海外からの投資が得られないので頑なに拒否し、コレラの流行したときは、国境なき医師団に流行を口外すると追放すると恫喝していた。テドロスは習近平の走狗のみならず同類の人物なのだ。彼のほかにもオンラインの記者会見で台湾についての質問が出ると機械が不具合だとして無視したWHO の幹部がいた。

WHOの真相、核心をしっかりと抉ったドキュメンタリーのなかで識者が、それでもWHOと別組織を作るのはまずいと語っていて、理解はしてもテドロスやその類いの輩が最高幹部として君臨するのであれば日本も離脱を考えてはどうかとわたしは思った。

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第二次世界大戦中、アメリカ軍は軍人が日記を付けるのを厳禁とした。敵の手に渡ることを考慮しての措置だった。しかし日記を付ける人間など滅多にいなかったから特段の制約や苦痛とはならなかった。いっぽう日本は陸海軍当局ともに日記を禁止とはしなかった。

日本の軍当局も日記が敵を益するおそれがあるのは承知していたが、禁止とはせず、それどころか新年には日記帳が支給されていた。( ドナルド・キーン『百代の過客 日記にみる日本人』 )

日記を点検して思想チェックする利便性はあったが、それよりも日本の伝統に占める日記の重要性を考えると日記の禁止は不満を高めて逆効果となると考えていたのではとキーン氏は述べている。

わたしは短期的にはともかく日記を付ける習慣はなかったがブログを書くようになってスマホのメモアプリを日記代わりに用いている。中身は予定や情報についての覚え書きや読書、映画の感想、原稿の下書きなどで、その一部をいまこのようにブログに載せている。 日記の好きな日本人は多く、ブログと日記をリンクしている方はけっこう多くいるだろう。それにたいしてキーン氏の所説からすると米国人にはブログと日記の相関関係は低いと思われるがSNSの普及が何らかの変化をもたらしているかもしれない。

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昭和十五年一月十八日、永井荷風は田村町で電車を乗り換えようとして線路につまづき倒れてズボンの膝を破ってしまった。そこで老脚あはれむべしの嘆きとともに「しのぶてふ辰巳の里も知らぬ身はうしと見し世ぞ更にかなしき」「すりむきし膝は畳の上ならで石につまづく老のさか道」の二首の狂歌を詠んだ。(『断腸亭日乗』)

その三年後の昭和十八年十二月に書いた「雪の日」には「七十になる日もだんだん近くなつて来た。七十といふ醜い老人になるまで、わたくしは生きてゐなければならないのか知ら。そんな年まで生きてゐたくない。と云つて、今夜目をつぶつて眠れば、それがこの世の終だとなつたら、定めしわたくしは驚くだろう。悲しむだらう」とある。

このとき荷風は六十五歳だった。

わたしは今月十月に七十となり、既に「醜い老人」である。上の文章は「生きてゐたくもなければ、死にたくもない。この思ひが毎日毎夜、わたくしの心の中に出没してゐる雲の影である」と続く。

「そんな年まで生きてゐたくない」と思ったことはないが「生きてゐたくもなければ、死にたくもない」感覚はときに微かに覚えていて、これが大きくなるのか、それとも老醜を晒しながらこの世への未練をますます募らせてゆくのかは自分でもよくわからない。

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ネット上での誹謗中傷問題が後を絶たない。五月に亡くなったプロレスラーの木村花さんは自殺とみられており、背景にはネットでの誹謗中傷があったとされている。昨年末には元国会議員の三宅雪子さんが亡くなっていてやはり直前にネット上の誹謗中傷を苦にされていたという。また、性暴力被害を告発したジャーナリスト伊藤詩織さんへのネット上での誹謗中傷や常軌を逸したハラスメントの事例もある。

SNSをどうしてこんなことに用いるのか。語らいや議論、情報交換のための機器が兇器となる現代社会である。

「人相寄って談ずるや必しも口角泡を飛ばすを要せず。男児誰か平生一片の心なからんや。しかれどもそは寧ろ深く胸中に蔵して可なり。同志相逢うてただ笑談時の移るを忘るる事あるもまた何の妨げかあらん」( 永井荷風「文明一周年の辞」)。

わたしにSNSは「笑談時の移るを忘るる」に一役買ってくれている。 他方SNSの普及でバカが意見をいうようになったとの批判があり、また匿名をいいことにしての誹謗中傷があり、自殺者を出すに至っている。「口角泡を飛ばす」議論もあってよいだろう、しかし節度とゆとりを忘れないよう自戒しておこう。

おなじく荷風は、自然主義が輸入されてからのち滑稽諧謔を理解しようとする気風が乏しくなったとしたうえで「ただウヱルテルの如く憂悶するにあらずんば詩客文人の資格を欠くものとなすに似たり。何ぞ図らんゲーテもまた時に祭日の農民の如く戯れ笑ふ事ありしを」と述べている。ウェルテルの悩みばかりではない、エスプリもユーモアもあってゲーテである。冗談や皮肉を排して遠ざけ、歓談を蔑んで口角泡を飛ばし、硬直と窮屈を続けてばかり、荷風いうところの自然主義はこんにちのSNSにまで影響しているとは目から鱗が落ちる思いがした。

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菅首相日本学術会議の会員候補六名の任命を拒否した。報道によれば新首相になって急に起こった案件ではなく、以前から学術会議に手を伸ばすよう準備されていて今回の発動となった。

学術会議が人事の原案をつくり首相が任命するのは天皇内閣総理大臣最高裁判所長官を任命するのとおなじく拒否する云々の話ではないと思っていたので任命拒否は石が浮かんで木の葉が沈むようなもので、馬鹿らしいと笑い飛ばしたいのだがことは深刻である。

昭和戦前の滝川事件や天皇機関説事件などにみられるように学者の世界を政治が統制しようとするのはろくなことがない。政府は多様な意見のなかから必要に応じて参考にすればよいのであって、こうして人事にまで手を伸ばしてきたということは統制を強化する以外のなにものでもない。これまでのやり方を改めるなら少なくとも事前に選考基準は示しておかなければならない。

政府側は「学術会議に、総合的、俯瞰的観点から活動を進めてもらうため、首相が任命した」と説明しているが、拒否された六名は安保法制や特定秘密保護法に反対の意見表明をしていて、政府の意図がいずれにあるかはいうまでもなく、やがて原子力発電をはじめ国の政策に反対したり疑義を示したりする学者は排除されるだろうと容易に想像がつく。

前期高齢者の半ばにある身としては日本が独裁・専制・強権の国になる前に逃げ切りができるだろうか、いささか不安を覚えるようになった。イスラエル歴史学者で 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』や『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者として知られる ユヴァル・ノア・ハラリが新型コロナウイルスをめぐるテレビ番組で 、一人の人物に強大な権力を与えるとその人物がまちがったときにもたらされる結果ははるかに重大なものとなる、独裁者は効率良く迅速に行動できる、しかしまちがいを犯しても決して認めず隠蔽する、メディアをコントロールしているので隠蔽するのが簡単なのだと語っていた。日本がそうした国になるのはそれほど遠くないのかもしれない。

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銀座のビアホールで七十の祝いをし、子供たちがスポーツタオルをプレゼントしてくれた。これからもランニングに努めてマラソン大会に出場したいね、多謝。

「タオル店には、うるっせーオヤジだから古希じゃなくて、のぎへん付きの古稀で刺繍をお願いした」といっていたのに苦笑した。

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歓談するなかで、新型コロナがいまのような状態で来年オリンピック、パラリンピックが開催されたとして、感染の危険を避けて実家のある高知へ疎開するのはどうだろうと相談してみたところ、新コロ逃れの高齢者への視線はとてつもなく厳しいだろうとの答えだった。

たしかに疎開してきた者は人目につきやすく、そのうえ感染状況が悪化するとそれだけで居辛くなると考えるとオリパラ期間中の疎開は断念するほかない。やれやれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本学術会議とベーシックインカム

日本学術会議が推薦した百五名のうち六名の任命を拒否した菅内閣は説明責任を果たさないまま学術会議の改革の問題に論点をずらそうとしているようだ。

学術会議の改革は必要だとしても特定の学者や考え方を狙い撃ちするのは自由主義国家の根幹に関わる問題であり、まずは学術会議のメンバーの選定は学界の専権事項としたうえでの話とすべきだろう。政治が学問や思想に強権を発動してろくなことはなく、学者には自由な研究活動を保障し、政府は必要に応じ意見を徴すればよい。

ところで竹中平蔵氏が提起したベーシックインカムの議論が話題を呼んでいる。内容は、人々は月々七万円の最低所得補償を無条件に受給できる、その代わり国民年金生活保護制度は廃止、高額所得者はあとでベーシックインカムによる所得を何らかのかたちで返さねばならないの三点を骨子としている。コロナ後の社会におけるセーフティネットのあり方に一石を投じたものだが、ほんとうに安全、安心を提供しているかどうかは懐疑的な見方が多い。

日本学術会議ベーシックインカムをめぐる問題に関連があるとは見えない。しかしながら「今日の軍人政府の為すところは秦の始皇の政治に似たり。国内の文学芸術の撲滅をなしたる後は必づ劇場閉鎖を断行し債権を焼き私有財産の取上げをなさでは止まさるべし。斯くして日本の国家は滅亡するなるべし」(永井荷風断腸亭日乗』昭和十八年十二月三十一日)という戦時中の荷風の予測を知るとなんだか不気味である。

文学芸術(ここに学術会議も含めよう)を撲滅したあとは債権を焼くという予測に、ベーシックインカム支給と併せての年金、生活保護の廃止を重ねると学術会議とベーシックインカムは無関係とは言い難くなる。

国債がチャラにされ、年金も生活保護もなくなったとき、そういえば日本学術会議が取り沙汰されたころからひどく変な具合になったなんてことになりかねない。「日本の国家は滅亡するなるべし」という警鐘である。

「ある画家の数奇な運命」

題名にある「数奇」は、画家志望の青年が恋し、愛し、結婚した女性の父親が、青年の幼いころ可愛がってくれた叔母を心を病む者として隔離し、死に追いやったナチスの高官だったことを指しています。

東ドイツで育ち青年となったクルト(トム・シリング)は社会主義リアリズムのもとでの美術活動に飽き足らず妻エリー(パウラ・ベーア)とともに西ベルリンに逃れます。ベルリンの壁ができる直前でした。

エリーの父カール(セバスチャン・コッホ)は戦前ナチスの高官で、産婦人科医として精神のバランスを崩した人々、心を病んだ人々に断種手術を施し、安楽死政策を推進した人物で、クルトの叔母は犠牲となったひとりでした。そして戦後は巧みに過去を隠し医師としての地位と名誉を保っています。

「数奇」なることが浮かび上がってくるのはクルトが画家としての方向が定まらず、苦しみ悩むなかでのことでした。

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ストーリーの構成と運びは見事なもので、画家としての自己形成が、自分と妻の家族の過去の探究に、そして西ベルリンへの逃亡やナチス高官だった義父の所業と戦後の権威ある医師への転身といったドイツ現代史に重なります。

こうしたストーリー展開の素晴らしさにくわえ、その語り口は丁寧で緩みはなく、映像も丹念に美しく撮られていて三時間超の長さはまったく気になりませんでした。

幼いころの自身と叔母とのノスタルジックな写真の模写が義父の過去とどのようにリンクしてゆくのかはサスペンスフルにしてミステリアス。こんなサスペンスの盛り上げ方があったんですね。

クルトはゲルハルト・リヒターという人をモデルにしているそうです。名前すら知らなかった方ですが現代美術界の巨匠だそうです。 先日亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンさんもはじめて聞く名前で、そんなわたしでも難なく鑑賞できました。

監督は「善き人のためのソナタ」でアカデミー外国語映画賞を受賞したフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督。「ソナタ」と「数奇」で目の離せない監督となりました。

クルトとエリーが西ベルリンへやって来たとき映画館で「サイコ」が上映されていてニヤリでした。

(十月六日ヒューマントラストシネマ有楽町)

 

「鵞鳥湖の夜」

若いころから身近の大事やむつかしい話には関わりたくない、できるだけ避けたい、というよりも逃げてしまいたい気持の強い人間でした。そのうえこれじゃいけない、現実逃避から抜け出さなければなんて思ってもみませんでした。できれば仕事からも早く逃れたかったのですが才覚も、バックグラウンドとしてなくてはならないマネーも乏しく、果たせないまま定年まで勤めました。だからでしょう逃亡する人間を描いた映画や小説は大好きで、「鵞鳥湖の夜」はそうしたわたしの心のありようにぴたりとはまりました。

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二0一二年、中国南部。経済発展や再開発から取り残された鵞鳥湖周辺の地区で、刑務所から出てまもなく犯罪グループのシマ争いに巻き込まれ、誤って警官を射殺して全国に指名手配され、警察また対立組織からも追われる身となったチョウ(フー・ゴー)という男の物語です。

ノワールのたたずまいと逃亡という似合いの組み合わせにシブミをもたらしているのが魅力的な映像で、荒廃したビルディング、安っぽいネオン、篠突く雨、傘、ライトの付いた靴を履いた集団のダンス、湖上のボートなどディアオ・イーナン監督の惜しみなく繰り出す画面は見応え充分、才気とひらめきを感じさせてくれました。

逃げ切れないと知るチョウは自身にかけられた報奨金三十万元を妻子に残そうと画策します。そうして彼のところに、 鵞鳥湖の水辺で春をひさぐ「水浴嬢」のアイアイ(グイ・ルンメイ)という女が警察の監視下にあって動けない妻の代理だといってやって来ます。

「水浴嬢」と全国指名手配の男の逃亡物語は「俺たちに明日はない」を追走しているようですが、そこには妻の存在と報奨金三十万元の行方が絡んでいますので過去の名作で割り切れる話ではありません。物語の進行とともにひねりを利かせた逃亡譚の着地への関心は高まるばかりでした。

(九月二十九日ヒューマントラストシネマ有楽町)

命なりけり・・・

七月に10キロヴァーチャルマラソンを走りました。緊急事態宣言で中断していた毎月の催しがようやく再開して、この日の走りが宣言からあとわたしのはじめてのレースとなりました。

六時から十二時のあいだに各自が定めたコースをGPS付アプリで計測して送付し、主催者が集計して順位、タイムを公表するというのがヴァーチャルの仕組みで、いわば「曲がりなりのレース」といったところでしょうか。わたしのコースはいつもどおり、ホームグラウンドとしている不忍池の周回でした。

まもなく七十歳を迎えます。古稀の記念に「曲がりのない」フルマラソンを走ろう、できれば海外のレースでフィニッシュして七十の坂を「超えた!」と叫びたいと考えていたのですが現状では「曲がりなりのレース」にならざるをえません。せめて記念までヴァーチャル(仮想)にならないよう心がけています。

「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさ夜の中山」(西行)。

これまで何歳までは走りたいとか思ったことはなく、今後もおなじく走れるだけ走り、レースに出たい、なんだか「命なりけり長距離走」の様相です。

いっぽう西行をふまえた和歌に「このたびはまたこゆべしとおもふとも老いのさかなりさ夜の中山」( 宗長)があります。

作者宗長は連歌師宗祇の高弟だった人。西行の歌に似ているけれど、思いは真逆で、生きながらえてもう一度坂を越えようとする西行にたいし宗長は坂越えを全うできるかどうかわからない不安の裡にあります。

走るとなれば「さ夜の中山」を前にしてたたずんではいられない、「命なりけり長距離走」なのですが、他方長いあいだ親しんできた本や映画となるともう新しい作品に手を伸ばさなくてもいい、これまで来た道を引き返して、むかし読んだ本や鑑賞した映画に再会したい気持が強く、「またこゆべしとおもふとも」といった思いはもう稀薄になっています。

方向は反対でも走り、歩くのに変わりはありません。走りにファイト、想い出の本や映画よありがとう、といったところにいまのわたしの老いはあります。

ヒトラー、チャーチル、新型コロナ対策

イギリス陸軍の軍人で政治家としても知られたバーナード・モントゴメリーが「私は酒もタバコもやらないから百パーセント健康だ」といったところウインストン・チャーチルは「私は酒もタバコもどちらもやるから二百パーセント健康だ」と応じた。

「私があなたの妻ならコーヒーに毒を盛ってやるわ」

「私があなたの夫ならよろこんで飲みますよ」

こちらはある女性議員とチャーチルとのやりとり。

ふたつのエピソードはNHKBS1で放送のあったフランス製作のドキュメンタリー「鷲とライオン ヒトラーvsチャーチル」で紹介されていたチャーチルの「ちょっといい話」。いっぽうヒトラーにこの種のニヤリとさせる話はありそうもないが、どうだろうか。

チャーチルヒトラーも戦略を論ずるのは大好きだったが、政治家の戦略論と軍人のそれとはズレがあり、軍人からするとはた迷惑な議論が多く、その点では似たところがあった。いまでいえば感染症の治療にむやみに口を出す政治家のようなものか。ちなみに昭和戦前は軍人が政治に横やり干渉し、ついには牛耳ってこの国に悲劇をもたらした。

話を戻すと、ヒトラーは自分に異を唱える者を粛清した。そのため彼の戦略はますますひどいものになっていったのにたいし、チャーチルは反対意見に耳を傾けたから自由な意見交換ができた。修正のできる柔軟さを持つ者と持たない者との開きは大きく、反対意見をどうあつかうかの問題は国家の命運を左右した。

「どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが誤りなのかを自分でも考え、できればほかの人にも説明する」「自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである」

いずれもJ・S・ミル『自由論』(斎藤悦則訳、光文社古典新訳文庫)にある自由主義の根幹をなす所説だが、ヒトラーはこの逆を暴走した。

機を見ての判断という点で一時期のヒトラーは冴えていたが長続きするものではなかった。いっぽうチャーチルは強い信念と異論への寛容とは相反するものではないと身を以て示したのだった。

 

新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)と政治との関係についてもヒトラーチャーチルは考える素材を提供してくれている。

パンデミックを機に民主主義よりも独裁・専制・強権の政治が新型コロナウイルスの封じ込めには有効だとする議論を聞くようになった。多くは中国共産党の自作自演、自画自讃だとしても、新型コロナ対策の緊急措置を利用して権力を強化しようとする動きは世界の各地で見られており、これからの政治になんらかの影響をもたらすだろう。緊急措置が適用されるのは危機のあいだだけで危機が去れば緊急措置はなくなるとはとても信じられないからだ。

民主主義国家と比較して独裁政治は感染症対策として国民の自由を制限し、厳格な措置を講じやすいのは中国が示しているとおりだ。しかし情報統制により疫病を蔓延させたのもまたこの国だった。新型コロナウイルスの危険を警告した医師を武漢の当局が処分し、結果的に死に追いやったのである。

国民の自由と厳格な措置とのジレンマに悩むこともない中国の感染症対策の裏には香港や新疆ウィグル自治区での蛮行がある。両者は表裏の関係であり、独裁政治が国民の命と健康を守るのに適しているなどといえるはずはない。中国型の感染症対策を礼讃する人々は台湾という開かれた社会での成功例は見て見ぬふりをし続けるのだろう。その代表がWHOのテドロス事務局長である。

ならば米国はどうなのか。先日トランプ大統領がジャーナリスト、ボブ・ウッドワード氏に語った発言が報じられていて、それによると大統領は三月十九日、ウッドワード氏に新型コロナウイルスについては「いつも軽く見せたいと思っている」と述べ、さらに「パニックを起こしたくないので、今でもそうしている」と付け加えたという。

ウッドワード氏の著書名を借りると「大統領の陰謀」であり、大丈夫、安心と根拠のない発言を行ったのは事実の封殺や情報の操作にほかならず、そのあいだにウイルスの感染は深刻な状態となった。

そこでヒトラーチャーチルである。ヒトラーは自分に異を唱える者を粛清し、チャーチルは反対意見に耳を傾け自由な意見交換を通じて修正できる柔軟さを具えていた。

トランプ大統領はどうであろうか。

トランプ大統領は医療行政の幹部や感染症対策の専門家たちと真摯に協議を重ねてきただろうか、「どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが誤りなのかを自分でも考え、できればほかの人にも説明する」努力をしてきただろうか、はなはだ疑問で、むしろ大統領は気に入らない医療行政者や専門家の意見には貸す耳を持たないとみえる。自由な意見交換が十分に行われたうえでの施策ではないところにトランプ政権による新型コロナウイルス対策の脆さがある。

すびきのせいびょう

八月九日。緊急事態宣言のあと二度目の10キロヴァーチャルレースを走った。

タイムは0:58:14、順位は282/778。

この時期、大汗かいたあとはやはりきつく、走ったあとシャワー、朝食、テレビ、そして昼食、ここまではまあまあよかったが、午後になると身体が猛烈に水分を求めてやまなくなり、ここでエイヤッとビールを飲むくらいになると自分も一人前のような気がするが、それができない。

夕方、上野公園を散歩していると、ときに缶ビールを飲みながら歩いている方を見かける。いいなあ、自分もやってみたいな、しかし晩酌で早く寝て目覚めが早過ぎになるのを用心して七時以降と決めてあるので羨ましいと思うばかりだ。決めた通りにするのは必ずしも悪くはないが、根が頑なで融通のきかない気質である。

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一日置きに晩酌していて、ときどき行きつけの飲み屋さんへ行く。お酒も料理もおいしいのはよいが、緊急事態宣言からあと外出を控えたぶん口腹のたのしみの比重が高まり、晩酌しない日が辛く、切なく、おまけにこの暑さだ。

ところが世の中よいことを教えてくれる方がいてノンアルコールビールというテがあった。言われてみてなるほどと膝を打ち、さっそく試してみたところけっこうな晩酌もどきである。依存症への一里塚と思わぬでもないけれど。

食べて、飲み、本を読み、映画やテレビドラマに親しみ、走り、歩く、これだけでもありがたいのに昨年までは年に何回か海外旅行をしていた。しかし、これはしばらく断念しなくてはならない。

とはいえGOTOトラベルを利用して国内旅行に切り替える気はなく、さいわい在職中は国内出張の多いポストだったうえに、東京とその近郊をぶらぶらするだけで十分満足しており、手もと不如意という事情は別にしてGOTOトラベルのお世話になる必要はない。

感染症禍で疲弊した経済を回すためにGOTOトラベルを推進するのもよいが「噛みしめて味ふ、こだはりなく遊ぶ。/ゆたかに、のびやかに、すなほに。/さびしけれどもあたたかに」(山頭火日記より)、わたしはこれだ。

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七月三十日九十七歳で亡くなった台湾の李登輝元総統の弔問に、日本からいち早く森喜朗氏を団長とする弔問団が派遣された。八月九日訪台した森喜朗団長ならびに団員は弔問前に蔡英文総統と会談し、席上森団長は安倍晋三首相の事実上の名代として訪台したことを打ち明け、蔡総統は感謝の意を伝えた。

安倍首相、森団長の外交アクションに心からの賛意を贈る。

森団長は李氏の遺影を前に「台湾はあなたが理想とした民主化を成し遂げ、台湾と日本は自由と民主主義、人権、普遍的な価値を共有する素晴らしい親善関係・友好関係を築き上げた」などとする弔辞を読み上げた。近年の中国の露わな全体主義志向を抑止するには国際社会が連携して当たらなければならず、とりわけ価値観を共有する国々との連携が重要となる。その点で世界各国に先駆けて弔問団を送り込んだ行動は褒められてよい。

李登輝氏への弔辞にある「台湾と日本は自由と民主主義、人権、普遍的な価値を共有する」と明言したのは習近平中共にたいし一線を画する点で有意義であり、言葉のうえで終わらせないように願う。

安倍内閣にはめずらしいクリーンヒットのあと米国のアザー保健福祉長官が大臣クラスとして公式訪問を行なった。一連の動きは日米台の連携プレーなのだろうか。

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七十五年目の八月十五日。

戦没者の追悼、戦争の反省そして将来に向けて平和をどう構築するかという問題を思ういっぽうで中国、ロシア、ハンガリーベラルーシなどの動向に独裁政治、全体主義の不安は募る。

他方、隣国では従軍慰安婦問題という戦争被害をネタに支援団体の一部が不正蓄財を行なっていたというとんでもない事件が起こっている。日本でも関西電力の巨額の裏金問題に部落差別反対を言挙げする人物が関与していたとの報道があったのは記憶に新しい。戦争、差別には反対するが、裏でのきたない現実も忘れてはならない。

社会学者の 山田昌弘氏が 、親しい人が亡くなったとき多くの人が泣いている、泣いているように見える、分類すると、本当に悲しいという感情を感じて泣いている人、当初は悲しくないが故人を思い出すなど感情ワークを行い悲しくなって泣いている人、悲しくないが表面上、儀礼上泣いている人に分類できると論じていた。 戦没者の追悼、戦争の反省にもこの三つにとどまらないいろいろな思惑がうごめいている。

この日、ネットでクリント・イーストウッドの言葉を知った。

「 戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから」

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酷暑の日の午後を「上海バンスキング」( DVD) を見て過ごした。 暑さを追いやるのには並大抵の作品では無理と考えてのチョイスで、よい暑気払いだった。再生したのは一九八一年十月十日にNHKが放送したもので、収録は同年五月に博品館劇場で行われている。当時わたしはこの芝居を、東京、京都、神戸、高知で見ていて、機会を捉えては劇場に足を運んだ、いまに至るも唯一の芝居の追っかけだった。

テレビ放映では放送時間の制約で、劇のあとの舞台での「シング・シング・シング」やロビーでの歌と演奏がカットされたのは残念だった。ところがそこのところの渇を癒すように数年前BSスカパーが二0一0年のシアターコクーンでの上演を完全収録のうえ放送してくれた。NHKBSスカパーにあらためて感謝だ。

一九九0年代だったか、NHKBSが当時のシアターコクーンでの舞台を放送したことがあり、まだDVDの長時間録画が難しい頃で、録画用ディスクを入れ替えたかったが仕事がありやむなくタイマー収録したが使い物にならず残念だった。

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小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』(みすず書房)を読んだ。小沼丹の小説とはこれまで無縁で、随筆はアンソロジーで何篇かお目にかかったことがあるくらいだ。それほどのご縁だが、はじめての単著で、心からのお付き合いを願った。

わたしが少しは現代日本の文学を読むようになったのは丸谷才一『笹まくら』がきっかけだった。そうして氏の世界とその近圏で遊んでいるうちに、いつしか私小説系の作家とは疎遠になった。例外は野口冨士男で、この人にしても丸谷編の花柳小説のアンソロジーを通してだった。いまそこへ小沼丹だ。

『小さな手袋/珈琲挽き』の編者庄野潤三が「小説もいいし、随筆もいいという作家はそんなにいない、まず浮かぶのは井伏鱒二、その次に、学生のころから井伏さんが好きで師事していた小沼丹がいる」と書いていてようやく小沼丹事始めとなったのに、まだ井伏鱒二が控えていて、路ははるばる遠い。困ったことに井伏鱒二も『厄除け詩集』と数篇のエッセイしか読んでいない。

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小沼丹が気にいったからと師匠の井伏鱒二に飛びつくのは無駄遣いに終わるリスクも大きいが、そのままにはしておけずネットで調べていたら『井伏鱒二自選全集』全十二巻、別巻一(新潮社)が二千八百円であった。これに送料が千二百八十円が加わる。

書籍費に比して送料が高いとぶつくさつぶやいていると、テレビの前でうたた寝したり文句たれたりするくらいなら、オカネのためだ、自分でとりに行け~っ!とどこからか声がした。なんだか殿山泰司になったみたいでクラクラときたが、そうなんだと早稲田にある古書店に連絡し、小型のスーツケースを取り出し地下鉄に乗った。

古書店では店主が「本も安くしないと売れないから、おれも頑張って値付けした。美本ですよ」とおっしゃるので「おかげさまでよい本が手に入りました。送料がもったいないので無職渡世の年金生活者は自分で引き取りに来ました」と答えた。十三冊の入った小型スーツケースを提げて駅の階段を昇り降りするのはけっこうきつかったが、わたしは思索思弁より身体の鍛錬に向いている。

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夜間部の授業の前に学校の食堂に行くと授業を終えた同僚が、まあ一杯いかがですか、とビールを注いでくれたので一息に飲み干したら、もう一杯すすめられて、アルコールが入ったほうが教室で口が滑らかに動きます、などという。小沼丹「居眠」より。

そこで二杯目を飲んだかどうかは忘れたがともかく小沼先生は教室へ向かった。

教壇の机の前に座って授業を始めたが、口が滑らかとはならず何だか億劫な気がしてあまり口を利きたくない。学生に訳読させているとその声が子守唄のように聞こえ、気がつけば学生たちがくすくす笑っている。

酒を呑んで高座に上がって居眠りに及んだ古今亭志ん生を、お客が、いいじゃないか、寝かせといてやんなよ、と言ったというエピソードが浮かんだ。

いま大学の教室でビールをひっかけて、授業で居眠りしていたのが発覚したとなると?

これも昔の話だが、掲示板に出講とある以外はすべて休講とした強者先生がいたそうだ。

こうして世間の視線は厳しくなり、管理は強化されたのだったが、わたしは目くじら立てず、なつかしい時代のちょっといい話として活字で楽しんでいる。

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小沼丹『ミス・ダニエルズの追想』(幻戯書房)は全集未収録のエッセイを集めた一冊で、小津安二郎監督の「彼岸花」や「秋日和」「秋刀魚の味」で笠智衆中村伸郎佐分利信、北竜二ら初老の男たちが艶笑譚をふくむ世間話に興じるシーンを思わせるのどかさ、楽しさがある。

早大文学部入試の答案用紙に「都の西北」をご丁寧にも一番から三番まで間違えずに書いた受験生がいた。ヴェルレエヌの「巷に雨の降るごとく」をパロディにした詩を書いた者も。「僕を入学させたら、それは気狂ひだ」といった落書きも。

大学で語学の授業中癲癇の発作を起こした学生がいて、クラスメートは前にもあったといって、二人の学生が病人を抱え宿直室に連れて行った。小沼先生が「授業が終わつてから宿直室を覗いたら、よく眠つてゐます、と小使の婆さんが云つたのでやれやれと思つた」。いろんなエピソード、それに宿直室や小使の婆さんに郷愁を感じた。

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八月二十八日安倍首相が病気を理由に辞任を表明した。

官房長官は「毎日お目にかかっているが変わりない」と言い、甘利なんとかという陣笠は、側で見る限り総理は間違いなく懸命に取り組んでいる、総理秘書官は、いくら説得しても聞かない、本人が休もうとしないと言っている、総理、休める時はぜひお休みくださいと茶坊主精神丸出しのツイートをしていて、首相の病状がそれほど深刻とは思いもよらなかった。以下、びっくりしたとたんに浮かんだ戯れ句。

「断腸に散りて浮世も秋に入り」

「腹痛が運ぶ初秋の折れ曲がり」

「初嵐我儘未練天下人」

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首相辞任についてのとりあえずの感想。

経済。アベノミクスの成果として株価高、失業者の減少、働き方改革などがあり、辞任の一報で日経平均株価が六百円ほど下げたことは市場のとまどい、気落ちの正直な表明だっただろう。いっぽう課題としての格差、非正規雇用の問題、子供の貧困等への対策は善意に解釈して道なかばだったか。

防衛。国際政治の現状からして国の防衛を一国で行うのは難しく、そのことを踏まえた選択が集団的自衛権だったと理解はしているが、憲法改正国防軍構想等に視野を拡げてみれば、安倍首相は、平和の創造よりも戦争志向が優先する人物だと考えざるをえず、辞任してなお、敵のミサイル基地をたたく「敵基地攻撃能力」の保有について、次の政権で検討を継続し、年内に結論を得たいなどと語っているとの報道があった。防衛問題の発想の素が平和ではなく戦争なのだ。

民主主義。 安倍内閣モリカケサクラへの対応として公文書改竄や廃棄、虚偽答弁など弥縫策を続けた結果、日本の民主主義はずいぶん劣化した。

どなたかが、みずからの幸運や繁栄は英知や節度により支配されなければならないと語っていて、選挙での大勝は民意だが、それが英知や節度に向かうのではなく、モリカケサクラなどの傲慢にはしったために日本の民主主義はおかしくなった。国会答弁でのはぐらかし、ごまかし、関係のないことを語ったあとの無視はたびたびだったし、首相みずからヤジを飛ばすなどデモクラシーへの誠実を欠いた。

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弓道は矢をつがえず弓の弦をひく動作素引からはじまる。素引で強弓をひいてみせれば道場の面々はみな感心するがその強弓に矢をつがえ遠くの的に当てる段になると上手くいかない方もけっこういらっしゃるそうで「素引の精兵」(すびきのせいびょう、口先だけで技が伴わず実戦の役に立たない)ということわざがある。

これについて京極純一『文明の作法』が「実戦とはほど遠い条件の下で豪勇ぶりの一端をみせ、なるほど精強な武人らしい、とまわりの人を感心させ、時には、自分自身でもそう思いこんでみたところで、必ず実戦の役に立つとは限らない。悪口をいえば『素引の精兵』である」と適切な解説をしてくれている。

合流して生まれた新しい野党の代表が選出されたのに続いて自民党の総裁も決まった。どちらも出来レースや消化試合のイメージで、なんだかお山の大将を選んでいるようでつまらないこと夥しかったけれど、せっかく意を決して、我こそはと打って出たのだから心より「素引の精兵」でないことを願う。

ついでながら、ときに権力抗争を通じて国民の政治への興味関心を高めることを、わたしは政治家の重要な仕事と考えていて、その点で出来レースや消化試合のような事態は政治的無関心を助長している。政治家諸公におかれてはこの面でもっと真剣に職務に専念していただくようお願いしたい。