お正月明け走り込み!

先週の土曜日はことしの初レース(10キロ)を走り、昨日は「2020.01.18 (Sat) STEP UPレッスン ランニングアドバイザーsaho~☆お正月明け走り込み!20km距離走☆ 」に参加しました。

sahoさんは現役時代、中距離で活躍した女性ランナー。

雨に雪が混じるなか、お台場を眺めながらの臨海コースをsahoさんやアシスタントコーチの指導を受けながら走りました。そうそう、ここでもナイキ社製の厚底シューズは大はやりで、わたしもその一人でした。

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熱情のゆくえ

人の熱情がどんなふうに推移するかについて、はじめは足元、つぎに身体の中ほどへ行き、そしてのど元へとたどり着いて、ここを最後の休憩場所とするという説がある。

二本足ですっくと立ち、身体の中ほどを核とする精力は快楽を求め続け、やがて精力減退の時期を迎えるとともに、のど元を通る料理と酒、すなわち口腹のたのしみの比重が増すというわけだ。

これまで食への関心がさほどなかったわたしのような者には、まだまだ残されたたのしみがあると思うとうれしい。それに「ものがわかる心の持ち主は、味覚もわきまえていなくてはならない」というキケロの言葉が示すように口腹のたのしみには人間に磨きをかけるという一面が含まれているらしく、そうなるとよろこびは倍増する。

歳をとるとともに性欲から食欲の比重が増すといっても、両者の関係はひととおりではなく、スペインの画家ゴヤは四十年にわたる結婚生活で、妻のホセーファに二十人もの子を産ませ、妻が死んで二年ほどたつと、六十八歳の彼はたちまち他人の妻だった女に子を産ませ、息子とその妻はゴヤのいつ枯れるか見当もつかぬ物凄い性欲に困り果てていた(堀田善衛ゴヤ』)そうだから、おそらく食欲のほうも相当なものだったはずだ。そうして八十歳になってなお「おれは勉強する」といって新しい技術の習得にはげんでいた。こういう人には性欲と食欲の比重など問題外である。

二十人の子供をなしたゴヤとホセーファ夫妻だったが、琴瑟相和す関係ではなく画家の女出入りは恐るべきもので、堀田善衛は「まことに性慾のかたまりのような男である。動物学的な性慾の持ち主であったと見做してよいであろう」と評している。

堀田はゴヤとともに、初夜に二十回と自慢していたヴィクトル・ユーゴーを併せて「こんなにもどぎつくて、濃厚で、露骨で、脂身にみちみちて、どこどこまでもぎらぎらとぎらついた存在と、果してつきあいきれるものかどうか」「いつか吐き気を催して、一切が厭になる時期が来るのではないか」と日本人と西洋人との関係に及んでいる。

たしかに食欲無類、精力絶倫の肉食系日本人であってもゴヤユーゴーと肩を並べるのはむつかしい気がする。

いま七十を前にした枯淡のわたしなど、ゴヤユーゴーのエピソードを聞いても羨望すらない。草食系か肉食系かなんて考えたことはなかったけれど、ここまで書いてきて、自分が草食系に属しているのがよくわかった。文章を書くのは自身について確認する作業でもある。

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ところでゴヤユーゴーでさえ無縁だったとは思われない身体の中ほどの問題がある。熱情のいたずら、もしくは休み時間、モンテーニュのユーモラスな指摘で紹介すると「必要としないときに、いやにうるさく出しゃばるくせに、もっとも必要なときに、実に具合わるく萎縮」したりするというやっかいなことがらである。

精力旺盛のときでさえままある現象だから、歳をとるとなおさらで、鍛えようにもこれといったやり方はなく、近頃ではよい薬もあるそうだからお助けを願うかどうかは人それぞれである。

そこで思うのだが、女の「でしゃばり」や「萎縮」はどうなっているのだろう。男の生理を明確、的確に表現した先哲モンテーニュにして女性の生理への言及は皆無だった。女性自身により語られた本があればよいが書架には見当たらないから、ある裁判の事例を通して考えてみよう。

その昔、カタロニアで、ある妻が、夫があまりに頻繁に夜の営みを迫ってくるといって訴えを起こした。これにたいし夫は、自分は精進潔斎の日でも十回以下では済ませることはできないと反論した。

アラゴンの女王は裁判で示すことがらではないとはせず、なんと、正当な婚姻に求められる節制と慎み深さの規範となるべき、恒久的なルールを示すとして、一日六回という回数を法にかなう必要な限界として定めた。そのうえで女王は、未来永劫にわたって不動のルールを確立するためにも、女性の性的必要や欲求を大幅に少なく見積もったと述べたという。

訴訟を起こした女性は別として、女王に「萎縮」はなく、「でしゃばり」は男のそれを凌駕していたのだった。

こうしてゴヤユーゴーアラゴンの女王とは好一対で、日本人は「こんなにもどぎつくて、濃厚で、露骨で、脂身にみちみちて、どこどこまでもぎらぎらとぎらついた存在と、果してつきあいきれるものかどうか」「いつか吐き気を催して、一切が厭になる時期が来るのではないか」が杞憂であればさいわいである。

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古代ギリシアの哲学者プラトン(BC427年~BC 347年)は老人たちに、若者たちがスポーツやダンスなどの身体運動をしているところに出かけて、肉体の美しさ、しなやかさを見出し、若かりし日の自分の魅力や人気のほどを思い出すよう勧めていた。

古代ローマラテン語詩人マルティアリス(40年?~102年?)は『エピグラム』に「過ぎ去った人生を楽しめるというのは、人生を二度生きることだ」と説いている。

時代は下って二十世紀、ボーヴォワールは著書『老い』の序文の一節に「老人が若い人びとと同じ慾望、同じ感情、同じ要求を示すと、彼らは世間の非難を浴びる。老人の場合、恋愛とか嫉妬は醜悪あるいは滑稽であり、性慾は嫌悪感を起させ、暴力は笑うべきものとなる。彼らはあらゆる美徳の手本を示さねばならない。なによりも、超然とした心境が要求される」と書いた。

いずれも老いは、若さとは一連のものではないことが前提とされていて、若さは老いが懐かしむ対象であり、老いには若さとは異なる心境が要求される。古典古代の時代はともかくボーヴォワール(1908年〜1986年)の生きた時代はつい昨日のことなのに老いと若さはこんなふうに意識されていたのかと思うと今昔の感に堪えない。

いっぽう日本の文学史ではこうした見方に異を唱えた作品に谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』という傑作がある。本書の七十七歳になる督助老人はすでに不能の身であるが、元レビューの踊り子で美しい脚をした息子の嫁、颯子さんに惹かれている。身体の中ほどを核とする精力はともかく、脚フェティシズムという熱情は旺盛で、その点では、若い人の欲望に負けるものではない。

谷崎は「老人の場合、恋愛とか嫉妬は醜悪あるいは滑稽であり、性慾は嫌悪感を起させ、暴力は笑うべきものとなる」といった老人観に逆らっていて、それは現代の多くの高齢者の心情を先取りしていた。

若者たちがスポーツやダンスなどの身体運動をしているところに出かけて、肉体の美しさ、しなやかさを見出し、若かりし日の自分を思い出したり、懐かしんだりするのは遠い昔の話であり、いまは若者たちが身体運動をしているなら自分もおなじようにやってみようとする高齢者が多くいる時代で、熱情は若さと老いを断絶させるものではなく、一気通貫している。アンチエイジングなんて聞いたらプラトンやマルティアリスは腰を抜かすかもしれない。

余談だが元気な高齢者が多くなったぶん、その犯罪率も増えている気がするが、どうなのだろう。報道からの印象では犯罪面からみても元気な高齢者が増えている。

いずれにせよ熱情において老いも若きもないのが現代の特質であり、ここではじめに戻ると身体の中ほどを核とする熱情がゴヤのように持続するのは大慶の至りだが、仮に衰えたとしても、次には口腹というか、のど元を核とするたのしみが待っている。

 

 

 

 

 

役者を見抜く力と表現力~芝山幹郎『スターは楽し 映画で会いたい80人』  

「繊細よりも精気を誇り、屈託よりも痩せ我慢を選んだゲイブルには、やはりキングの名がふさわしかった」

「クーパーには荒野と摩天楼の両方が似合った」。

芝山幹郎『スターは楽し 映画で会いたい80人』(文春新書)にあるクラーク・ゲイブルとゲーリー・クーパーについての一筆書きのポートレイトだ。

芝山幹郎氏は現代日本の有数のコラムニストである。わたしは氏の野球にかんする著書とは無縁だから忠実な読者ではないけれど『スターは楽し』を読みながらその評価をいっそう強く確信した。

スターの核を見抜く眼力、優れた表現力、適切な情報の配置が「化学反応」を起こして読者を映画の世界にいざない、また想像の世界に赴かせてくれるからスターは楽しく、読者も楽しい。

たとえば。一九一三年、大阪府枚方市に生まれた森繁久彌の大叔父に成島柳北がいた。本書で知ったわたしには思いもよらない関係で、永井荷風は江戸時代末期の幕臣で明治政府への出仕を潔しとせずジャーナリストに転じた柳北を高く評価し、尊敬していた。荷風はこのことを知っていただろうか。森繁は荷風原作の「渡り鳥いつ帰る」に出演していたから、可能性は低いけれど、ひょっとしてこのご縁で撮影中、荷風と森繁が柳北を話題にしている光景をわたしは想像した。

あるいは『ゴッドファーザー』(一九七二)のヴィト・コルレオーネの役は最終的にはマーロン・ブランドが演じたが、じつはオーソン・ウェルズに演じてほしかったと著者は言う。そこでしばらくオーソン・ウェルズのドン・コルレオーネについてあれこれイメージしてひとときを過ごす。

著者の個々の映画についての批評はこれまで何冊かに集成されているが、『スターは楽し』は役者を対象とする人物論だから一本の映画の批評を書くときよりも個々のスターの人物像、その周辺など話題は広がり、俯瞰的な景色が提示されることとなる。

ちょうどいまクエンティン・タランティーノ監督の新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が上映されている。本書にはあの事件にまつわるエピソード(わたしには、オッ!だった)があるので紹介して結びとしよう。

女優シャロン・テートら四人が惨殺されたのは一九六九年八月九日の夜、この日スティーブ・マックィーンロマン・ポランスキー邸でのパーティーに招かれていた。ところが、マックィーンはポランスキー邸に行かなかった。その日の午後、会ったばかりの女とベッドにもつれこんでしまい欠席したのだ。女性の身許はいまもって不明とのこと。三十代のマックィーンは「肉欲の虜」だったから手の早さが命を救ったことになる。

シャロン・テートらの無差別殺害はカルト指導者、シリアルキラーチャールズ・マンソンによるものだったがスティーヴ・マックィーンの名は「マンソンの標的リスト」のトップにあった。マックィーンは一九八0年五十歳の若さで亡くなったが、女性への手の早さが十年余りを生き延びさせてくれたのだった。

 

 

 

 

『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』に導かれて

昨二0一九年十月に創元推理文庫から福永武彦中村真一郎丸谷才一『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』が刊行された。書誌については後回しにして今回の創元推理文庫版は三人の著者のこれまで未収録だったミステリについてのエッセイや丸谷才一さんが収録しなかった雑誌連載分が収められていて、うれしいプレゼントとなっている。

本書についてはこのブログ二0一一年四月七日付「『深夜の散歩』のおもいで」として話題にしているが、最新版『深夜の散歩』を読んだのを機に二三書き足したいことがあり、思い切って記事を削除し、以下のとおり改稿した。

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ミステリを読みはじめたのは一九七0年代の後半、二十代半ばで結婚してからだからだいぶん晩稲のほうだ。それまでは松本清張の作品をいくつか読んだくらいで推理小説のことなどまったく念頭になかった。その頃のわたしは、文学といえば魯迅であり、いちばん意識していたのは学生のとき勉強していた文化大革命の動向であった。

推理小説というものは、歴とした娯楽品で、そして娯楽品に対する批評や鑑賞の専門家が何人も現れたというのは、それだけそのジャンルが成熟した証拠である」。

『深夜の散歩』の一篇、中村真一郎「アイソラの街で」の初出は「EQMM」(「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン日本版」の略)一九六0年五月号で、ここにはミステリがだんだんと普及していた頃の雰囲気がよく示されている。

これに先立つ二年前「EQMM」一九五八年四月号に福永武彦が「小説家が自分のうちに批評家の分身をもつか、タブーを物ともしない優秀な専門批評家が現れるか、この二つがなければ、我が国の探偵小説界の前途は洋々たりとは言えないように思われるけれど、どうだろう」と苦言を呈している。

両者を読み較べると一九五0年代後半から六十年代初めにかけてミステリの世界における批評が市民権を確立しつつあることがわかる。なお中村はミステリ批評、鑑賞の専門家として植草甚一中田耕治の名前をあげている。しっかりした鑑賞や批評のないところに進歩や発展はなく、その後のミステリの世界のありようはご同慶にたえないが、わたしはまだ推理小説、ミステリを軽視する風潮のなかにあった。

「一九六三年八月」の記載のある「元版『深夜の散歩』のあとがき」に丸谷才一は本書に縁のない人として「『日本外史』と『明治天皇御集』以外の印刷物には関心がないような人」「『世界』と『アカハタ』以外の定期刊行物は読まない人」をあげていてミステリの読者となる以前のわたしはあきらかに後者に属するタイプだった。

ところが結婚して妻にミステリを読んでみたらと勧められ、アガサ・クリスティーアクロイド殺し』を手渡され、結末で呆気にとられたのを機にこの世界の虜となった。なにしろ純情だったから驚きは大きく、そのなかで出会ったのが『深夜の散歩』だった。一九七八年のことで、同年に講談社が刊行していて、昨年亡くなった和田誠さんが装幀を担当していた。

海外ミステリをめぐる上質でしゃれたエッセイ集またブックガイドとして、この分野での古典的名著と評して過言ではない。面白くてためになる教科書なんて形容矛盾もいいところだが、本書は稀有な例外で、海外のことはわからないけれど管見する限りわが国でこれに匹敵する海外ミステリの教科書はないのではないか。

本書に導かれて、わたしは三人の著者があげるミステリをマーカーで塗っては、ハヤカワ文庫、創元推理文庫など各社の文庫目録で収められているかどうかを確認した。アガサ・クリスティー『ゼロ時間へ』はハヤカワ文庫、アントニィ・バークリイ『毒入りチョコレート』は創元推理文庫といった具合に、そうして書店で見かけるとすぐに買った。懐かしい日々だ。ついでながらミステリを耽読するうちにわたしの硬直の度合も低くなっていたようで、それとともに中国と毛沢東についての見方も変わった。

クリスティーもクイーンもクロフツも何はさておき本書が採り上げている作品に手を伸ばした。とりわけレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説やエリック・アンブラーのスパイ小説は振り返ると仕合わせな読書体験だった。こうして自身の好みが確認できたわたしはエスピオナージュとハードボイルドに進路を取った。

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 先に書いたようにわたしがはじめて接した『深夜の散歩』は一九七八年の講談社版だった。これには元版があり、一九六三年にハヤカワ・ライブラリの一冊として刊行されている。講談社版には元版以降に書かれた三人の著者のミステリについてのエッセイがそれぞれ数編収録されていて、「決定版」と冠が付けられている。それをさらに補充したのが今回の創元推理文庫版である。

「決定版」があるからといって元版が不要とはならない。さいわいなことに十年ほどまえに神保町にある小宮山書店の三冊五百円のワゴンセールで元版を見つけ、古本屋の均一本をあさるよろこびにつつまれて購入した。一九六三年十一月三十一日付け再版で、ハヤカワ・ポケットミステリとおなじ版型だ。

その日、神保町の喫茶店に坐って獲得物を愛撫してやっているうちに裏表紙の内側に「上野文庫」のラベルが貼ってあるのに気付いた。上野広小路にある和菓子のうさぎ屋の隣にあった小体な古本屋さんだ。

落語、漫才、色物等の芸能関連や好色随筆、犯罪ものなど個性的な品揃えが独特の雰囲気を生んでいた。とりわけ店主の好みなのだろう落語関連本は充実していて廉価の落語CDやレコードも置かれてあった。中公文庫の野口冨士男『私のなかの東京』と『わが荷風』、桂三木助「芝浜」のCDはここで買ったのをおぼえている。

上野駅から広小路にあるき、通りの向かい側から見るとシャッターが閉まっていて、上野文庫はお休みかと残念な気持になったことが二三回あった。広小路を渡り店の前まで行けばもっと早く閉店を知ったのかもしれない。そのうち店主が亡くなったと仄聞し、店はお休みではなく閉店したと知った。ネットで調べてみたところ店主の中川道弘さんは二00三年に亡くなっていた。角田光代岡崎武志『古本道場』(ポプラ社)で岡崎武志さんはここを「大人の駄菓子屋のような店といっていい」と評しているが至言であろう。

ハヤカワ・ライブラリの『深夜の散歩』をさいしょに買った人はきっとフットワークの軽い、洗練されたセンスの方だっただろうな。日本人がまだ遊ぶことに慣れていない、大まじめで、それゆえ社会派推理小説などという大義名分のある娯楽読物に夢中になっていた(丸谷才一)時代に海外ミステリを楽しんでいた方を讃えよう。

そこから上野文庫の棚を経て神保町の小宮山書店のワゴンセールに収まるまでの半世紀にちかい時間をこの本はどのような漂流を重ねたのだろう。『深夜の散歩』との長い付き合いに感謝しながら深夜にそんなことを思っている。

 

お年賀

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

二0ニ0年一月一日

わたしの六十代の主たる楽しみは、海外に遊び、旅先の地についての本を読んだり、映画を観たりすることでした。定年退職後からのスタートなので手塩にかけて使いこんだ知識になるはずもありませんが、視野は狭く、考え方は固定的で、心の働きの硬い自分がほんのすこしでも改められるよう願っています。

先年スペインを旅したあとで読んだジョージ・オーウェル「スペイン内戦回顧」に、飢えない程度の食料、失業の恐怖に襲われる状態からの解放、子供に公平な機会が与えられている安心などの希望が語られたところで一九三0年代のスペイン内戦と戦争状態にある現代の世界各地とが二重映しになったことでした。新しい年、微かであれ光が増しますように。

ことしわたしは古稀を迎えます。老後という自分の知らない明日は、心身の具合や少子高齢化における経済のありようを考えると、これまで以上に予測や設計は困難なのですが、いまある条件のもとで七十代の充実した生活を求めてまいりたいと思っています。

(写真は昨年十二月マルタ島で、地中海をバックに)

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「マルタの鷹」Tシャツをゲットしたぞ!

令和元年、鷲神社の酉の市は十一月八日が一の酉、同二十日が二の酉にあたる。

渡邊千枝子の句に「一の酉夜空は紺にはなやぎて」があり、紺の空のもと繰り出した大勢のなかには「酉の市に至りも着かず戻りけり」(数藤五城)といった人もいるほどのにぎわいだ。

小沢信男『俳句世がたり』に「お酉さんの夜は、じつに寒かった。昭和も戦前のことですが、わが家は例年お参りして熊手を買い替える習わしで、父は二重回し、子どもらはオーバーに手袋、マスクまでしてでかけた」とあり、東京の冬の季節はいまとは少しく違っていて、その寒さを思うと「熊手市ひやかし客も火によりて」(山岸治子)は戦争前もしくは戦争中の東京の風景であっただろう。

いま酉の市のころの寒さはかつてほどではないけれど心とふところの寒さはいかがか。

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飲み屋さんで、シチリアへ旅行したとき買ったTシャツを着ていたところ隣にいたお客さんが「いだてんのシンボルマークに似ていますね」とおっしゃった。かろうじてNHK大河ドラマか朝の連続ドラマの番組と知っていたから「いだてん?」とならずにすんだが、相変わらず世間知らずの箱入りおじさん、もとい、箱入りじいさんだ。

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知らないといえば、野谷茂樹『そっとページをめくる 読むことと考えること』(岩波書店)という書評を集成した本の五十ページまで来たところで、わたしが読んだ本は一冊もなくほとんどは著者名も書名も知らず、目次をみるに読了してもおなじようで、できれば何冊かは読んで少しは世界を広げなくてはと思った。

もっとも長生きには読書はよくないとも聞く。哲学者で法政大学総長などを務めた谷川徹三志賀直哉に「長生きをしようと思うと、あまり本などを読まないことらしいです」と言うと作家は「それは僕は昔からやっているよ」と応じ、笑っていたと同席していたフランス文学者の河盛好蔵が書きとめている。

じっさい志賀はあまり本を読まなかったそうで八十八歳の長寿はそのためだったとすれば当方も一考しなくてはなるまいが、九十四歳まで生きた谷川徹三に本を読まなかったエピソードはなく、ここでは読書と長寿は関係ないとしておこう。

昨年末に北イタリア、今年はじめにシチリア島を含む南イタリアを旅した関係で辻邦生『背教者ユリアヌス』を読み、優れた歴史小説との出会いをよろこぶとともに、宗教的寛容について少し勉強したいと思った。ユリアヌスは宗教上の対立、不寛容を厳しく批判した人で、そこからモンテーニュが思い合わされた。

望外の幸せとして堀田善衛『ミシェル 城館の人』三部作という格好の導き手を得てモンテーニュ『エセー』(宮下志朗訳)を読むことができた。ことしの読書のいちばんの収穫であり、前期高齢者半ばでのルネサンス的読書体験だった。前段での辻邦生堀田善衛との出会いもたいへん有意義だった。

辻邦生堀田善衛ともにフランス文学を教養の基礎にした作家で、偶然だが六月に旅順、金秋、大連を旅して、大連で生まれ育った作家、清岡卓行の『アカシヤの大連』をはじめとする大連物と呼ばれる諸作品を読んだ。清岡も東大仏文の出身で、こうなると堀田の友人であり、また辻、清岡の師の渡辺一夫が気になって、とうとう十四巻の著作集を購入するに至った。

こうして読書の意欲はまあまあ旺盛だが、書く意欲は減退するいっぽうだ。

なぜ書くかといえばわたしのばあい、自分なりの言論活動のほか、気散じ、暇つぶし、せめてもの認知症予防といったところだが、前提となる意欲がなければどうしようもなく、そのうち気力が充実するよう期待するほかないにしても危うい限りだ。

老いてなお盛んなのが長距離走で、書くという行為を通じて頭脳を鍛えるのに難渋するいっぽう走って体を鍛え、レースに出たい意欲は軒昂だ。どうやら肉体よりも精神の老化のスピードが速いというのが自己診断である。

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総理大臣主催の桜を見る会が公金を使って私物化されていると疑問視されている。

世間知らずのわたしは、総理大臣主催の桜を見る会への招待は叙勲とおなじく名誉であり、招待者名簿は顕彰として、それを廃棄するなどありえないと思っていた。天に唾する行為ではないか。

ところが招待者の選定はずいぶんいいかげんで、内閣府はさっさと廃棄処分にしたと報道されている。政治問題化を避けるため保身を図ったのは明らかだろう。公表するかどうかは別にしても名簿の廃棄は叙勲を考えあわせると失礼である。政府はいまになって個人情報を持ち出して出席者名簿の開示を拒んでいる。プライバシーは保護されるべきだが、ならばテレビカメラを入れたこととの整合性はどうなるのだろう。

安倍首相のもと、イラク南スーダンに派遣された自衛隊の活動をしるした日報を廃棄したといっておいてあとから出してきたり、森友学園加計学園の問題をめぐり国会答弁を改竄したり、文書の所在をあいまいにしたりと文書管理をめぐる問題が頻発していて、この内閣の性格と体質はここにくっきりと示されている。

プラトンは国家の支配者の第一の条件として偽りのない美徳を求めた。それをうけてモンテーニュは『エセー』に、品性の堕落の第一の特徴は真実を追放することにあるとしるした。これに照らせば情報公開に消極的というより証拠隠滅を疑わせるいまの政権の品性、品格がどれほどのものかがよくわかる。

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先日NHKが放送した「よみがえる悪夢〜1973年 知られざる核戦争危機」(BS1スペシャル)は第四次中東戦争の裏面史をたどった力作であり、また政治と人間についての優れたケーススタディとしてNHKの底力を感じさせる番組だった。

発端はエジプト軍のイスラエルへの侵攻だった。イスラエルはエジプト軍の動きを察知しながら、それを軍事演習と見誤ったために応戦が遅れた。そこに米ソが仲介に乗り出し、なんとか停戦期日を設定するところまでこぎ着けたが、停戦直前になってソ連の国防相はエジプトに、核弾道搭載可能なミサイルを発射しても問題視しないとブレジネフ書記長の決裁を受けずに伝えた。いっぽうキッシンジャー国務長官ニクソン大統領に相談なく、憤懣やるかたないイスラエルに停戦期日を少し超えたところまでは武力行使もよいとした。

こうして戦局はこじれ、アメリカは核戦争対応の措置を決定する。これを機に関係各国の核戦争回避と停戦交渉は新たな段階に入ったが、まさしく「知られざる核戦争危機」だった。

このかんニクソン大統領はウォーターゲート事件の渦中にあり、もともとあまり酒は飲めないのに酒で気を紛らわせる日々を送っていて、核についてとんでもないことを発言するかもしれない状況にあった。いっぽうのブレジネフ書記長も睡眠薬を常用していた。

番組の終わりで、キューバ危機のときの国防長官としてケネディ大統領を補佐したウィリアム・ペリー、九十二歳は「我々は核戦争の危険は相手からの計画的攻撃によると考えがちだが、本当の危険は政治的な誤算、偶発的なミスなど人間のヘマによって起きます。我々はヘマをして核戦争に突入する可能性があります」と語った。

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古今亭志ん生は色里の噺のなかでしばしば、これは学校では教えてくれないことで……とくすぐりを入れていた。色里に限らず歴史を読む興趣のひとつに学校では教えてくれない史実を知るたのしみがある。正史や学術書からこぼれた落穂拾いで、さきごろ読んだ堀田善衛の自伝小説『若き日の詩人たちの肖像』には、作者と交友があり、のちに作家、詩人となった人たちの若き日の姿とともに、興味深い社会史の落穂がいくつかしるされていた。

堀田の母は託児所の事業に従事していて、出征家族や戦死者の家庭内のもめごとなどの仲裁にも関わっていた。なかで厄介なのは夫が出征している妻の密通で、「兵隊後家」が起こした姦通事件が表沙汰になると憲兵が出てくるのでどうにかして隠し通さねばならなかった。そして妊娠して腹の大きさが目立って来ると託児所の二階に隠していた。託児所は妊婦を預かるところでもあったわけだ。

もうひとつ。

堀田はピアノが弾けたうえにマンドリンやベースにも手を出していて、慶應の学生のとき、浪曲、漫才、レビューがいっしょになった劇団に臨時の楽士として参加し北海道を巡業している。

そのあいだには夜更けて舞台が終わると、五里向こうのムラから来たものですがなどと口ごもりながら楽屋を訪れる青年がいて、何用かと訊ねてみると、要するに、明日出征するので思い出に、あの舞台の踊り子とお願いしたい、という。なかには「あれ、本当らしいわね……。わたし、やらせたる」と同衾におよんだ踊り子もいた。

「あれ、本当らしいわね……。わたし、やらせたる」から察するに、出征兵士を騙る、本当でない輩もいたわけだ。

「わが大君に召されたる生命栄光ある朝ぼらけ」(「出征兵士を送る歌」)の前夜における真実と戯画である。

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「オーバー・エベレスト 陰謀の氷壁」はことし観た映画のうち最高の珍品だった。

ヒマラヤ周辺にある諸国家が地域平和のために会議を開催することとなったが開催前に機密文書を積んだ飛行機がエベレスト南部に墜落する。文書はヒマラヤ地区の平和を脅かす可能性があるとして、インド軍は二名の特別捜査官を文書回収のため派遣、またヒマラヤで活動する救助隊Wingsにガイドの依頼をして一行は墜落現場へと向かうが、とちゅう特別捜査官の二人は職名を詐称しており、文書回収の目的も平和維持とは別物とあきらかになる。

「日中合作のスペクタクル映画」というのがウリだが、むしろ文化大革命当時までの中国映画のたたずまいの感が強い。活劇とメロドラマの奇妙なブレンド、撮りまくりのドアップの表情には複雑や陰翳は皆無、スクリーンプロセス、CGはしょぼいといって悪ければひと昔前の水準。Wingsのチーフを務める役所広司には比較的自由に演技させていたが、中国側の役者は極めて硬直した演技で、セリフ回しはなつかしい「白毛女」や「紅色娘子軍」ふうだった。

中合作とはいえイニシアティブは完全に中国側がとっていて、共産党の文化機関からはお褒めにあずかるのではないかな。

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十二月四日に成田空港からイスタンブール経由でマルタ共和国へ行き九日におなじルートで帰国した。マルタは古くは十字軍で勇名を馳せた聖ヨハネ騎士団マルタ騎士団)が築いた要塞都市、近くは米露首脳が冷戦終結を宣言したところとばかり思っていたが、最近、租税回避行為をめぐる一連のパナマ文書との関連でこの国の政界の暗部を追求していた女性ジャーナリストが殺害された事件に政府関係者が関与していた疑惑が浮上し首相が退陣を表明した。香港のような暴動は起きていないが、現地在住の日本人女性のガイドさんによると、厳しい政治的緊張感が続いているとのことだ。八日の日曜日には首都ヴァレッタのメインストリート、リパブリック通りで、首相退陣で幕引きとせず、正義を求めようと訴えるデモ行進がおこなわれていた。国会、首相官邸等には鉄柵が設けられていて、ガイドさんは、マルタ政治史上はじめての鉄柵だと思いますと語っていた。

いずれ旅の記録はまとめなければならないが、ここではダシール・ハメット『マルタの鷹』について。言うまでもなくマルタ騎士団にゆかりのある「マルタの鷹」像をめぐる争奪戦を描いた本書は私立探偵サム・スペードの名を一躍高からしめたハードボイルド小説の名作であり、これを原作とするジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート主演の同名映画はフィルム・ノワールの古典となっている。

先に聖ヨハネ騎士団、冷戦終結宣言のマルタと書いたが、フィクションの世界では何はさておいても『マルタの鷹』であり、これをあしらったTシャツはないものかとひそかに目を配っていたところマルタ島からフェリーでゴゾ島へ渡り、観光のあと土産物店を見て廻るうちにようやく見つけて購入した。「ないはずはあるまぁが」と「仁義なき戦い」のせりふを何度か心につぶやきながらとうとう探し当てた。二着で十ユーロのお宝に大満足なのだった!

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「家族を想うとき」

イギリス、ニューカッスルに住むターナー家は父母と高校生の息子と小学生の娘の四人家族。

借家状態の不安を解消したい父親リッキーは早くマイホームを購入したいとフランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意し、個人事業主として宅配事業者と契約する。

母親のアビーはパートタイムの介護福祉士として数軒の家庭を訪問介護し、一日中働いている。雇用主からの車の提供はなく私有車による移動だったが、夫がフランチャイズの配送事業を始めるには彼女の車を売って資本にするほかに方法はなく、やむなく車を手放さなければならなかった。

こうして夫は際限のないほどに宅配の荷物をさばかなければならず、妻は距離の離れたお年寄りの家々をバスで通うことになり、家庭の団欒は皆無状態、母親のアビーはなんとかして息子セブと娘ライザとのコミュニケーションを図ろうとするが、電話を通じての一方的な話とならざるをえない。

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原題は『SORRY WE MISSED YOU』。荷物をお届けに上がりましたがご不在のため……そしてお届けに上がった労働者の家庭では両親が不在で子供たちはさびしい想いを募らせている。

フランチャイズという仕組みのもとにある宅配ドライバーはノウハウの指導を受け、仕事をもらえるいっぽうで過失はすべて責任を負わなければならず、配送に行けない日は代替のドライバーを自分で探さなければならないなど縛りはきつい。家庭を守るために働いているのに低所得と長時間労働のスパイラルから抜け出せず、精神も肉体も披露の限界状態にある。

新自由主義経済にもとづく政策が推進されてからイギリスの下層労働者の家庭がどのようなことにみまわれているかを如実に示した作品であり、前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」を最後に映画界からの引退を語った一九三六年生れのケン・ローチ監督が引退表明を撤回してこの作品を撮りたかった気持がひしひしと伝わってくる。現代イギリスの下層労働者の家庭がおかれている現実を提示した名作は綿密な取材と十分に練られた作劇術の賜物であり、この現実は日本にも通じている。

劇場を出るときふと目にしたポスターに、それでもこの家族は負けないとあったけれど本当にそうだろうか。

日中戦争が泥沼化したなかでの真珠湾攻撃について、それまで批判的だった人々のうちに、これでさっぱりしたと米英との戦争を支持した人たちがけっこういたと堀田善衛の自伝小説『若き日の詩人たちの肖像』にある。かれらにとり、もう泥沼はいい加減にして、さっぱりしたいと思っていたところでの開戦だった。これはいまの世界の精神的雰囲気に通じているのではないか。明日の世界の予兆?わたしがペシミストであればよいのだけれど。

(十二月十九日 ヒューマントラストシネマ有楽町)